過去と未来の編 (その10)

あるべき姿~過去と未来の編

あとがき

「まえがき」でもお伝えをしましたが、今回のテーマである「過去と未来」、これは因果を理解することで、あなたの「過去と未来」がわかるとようになるということです

そして因果を悪因悪果から善因善果へと変えることが、こころの成長のことであるということです

ひとのために生きるということが大切です。ひとは、いましかできないことをひとのためにと、なにかをしてあげなければならないのです

「魂」は何世代にもわたって、ひとの身体に宿り、こころを成長させようとしています。だから、ひとのあり様を知り尽くしています。それは「欲」が心地よくて、なかなか、前に進むことができないのです

「魂」がひとの身体を転生するのはこころを成長させるためです。それは、ひとを守る神さまたちが、決して諦めることはしないからです

そして、つねにこころ(魂)がもっとも成長する環境でひとの身体に宿ることで成長させようとしているのです

ほかの生きものには「魂」はないのに、どうしてひとにだけ「魂」はあるのでしょうか・・・

ひと以外の生きものには、生きるために必要以上の「欲」がないからです。ただ「生きる」という「意志」しかないということです

だからひとだけに「因果」はあるのです。生きるために必要以上の欲が強欲なり「因果」はつくられます

そして因果を経験することで、ひとは勝手に想像して悩み、また新しい因果をつくりだします

因果の理解はつねに、自責の念であることが、はじまりです。あなたの目の前で起きる事象は自分が原因で起きたということを十分に理解してください・・・

※わたしが、よく記載する因果とはこころを成長させるための「悪因悪果」のこととしてご理解ください

過去と未来の編 (その9)

あるべき姿~過去と未来の編

第八章  過去と未来

因果とは「過去の行い」が「現在の結果」となっていることであり、その因果を学ぶことで「そうすれば、こうなる」という、「「その先」のことがわかるようになるのです

それは、「現在」そうすれば、「その先」はこうなる、ということであり、それは「理由があっての必然」として、未来への予知であるということです

原因があっての結果とは、現在から過去に遡った「あり様」であり、理由があっての必然とは、現在から未来に起こる「あり様」のことを意味するものです

原因があっての結果とは「因果」であり、
理由があっての必然とは「予知」であるということです

そのことばの違いは、時間的な違いであるということです

そして、この世で、その時間は「こころの成長」を現わし、こころの成長とは、まさに悪因悪果から善因善果へと変わる「行い」を中心とする世界観のことを云います

ただ、ひとにとって、もっとも大きな課題である因果について、「憎悪」という因果を知らなければなりません

それはこの世は・・・ひとの歴史とは、「憎悪」による因果の繰り返しであるからです。憎悪とは、「する側」と「される側」という、ひとにしかない感情です

「憎悪」とはひとの感情によって生まれる「因果」です

憎悪という感情に偏らずに、こころ(魂)のあり様は真ん中でなければなりません。真ん中とは、そのどちらでもないということであり、憎悪を無くしてくださいということではありません。理解をしてくださいということです

こころ(魂)はひとの身体に宿り、つねに感情と葛藤をしているのです。ひととしての生きるあり様、そのものが、こころの成長であるということなのです