過去と未来の編 (その9)

あるべき姿~過去と未来の編

第八章  過去と未来

因果とは「過去の行い」が「現在の結果」となっていることであり、その因果を学ぶことで「そうすれば、こうなる」という、「「その先」のことがわかるようになるのです

それは、「現在」そうすれば、「その先」はこうなる、ということであり、それは「理由があっての必然」として、未来への予知であるということです

原因があっての結果とは、現在から過去に遡った「あり様」であり、理由があっての必然とは、現在から未来に起こる「あり様」のことを意味するものです

原因があっての結果とは「因果」であり、
理由があっての必然とは「予知」であるということです

そのことばの違いは、時間的な違いであるということです

そして、この世で、その時間は「こころの成長」を現わし、こころの成長とは、まさに悪因悪果から善因善果へと変わる「行い」を中心とする世界観のことを云います

ただ、ひとにとって、もっとも大きな課題である因果について、「憎悪」という因果を知らなければなりません

それはこの世は・・・ひとの歴史とは、「憎悪」による因果の繰り返しであるからです。憎悪とは、「する側」と「される側」という、ひとにしかない感情です

「憎悪」とはひとの感情によって生まれる「因果」です

憎悪という感情に偏らずに、こころ(魂)のあり様は真ん中でなければなりません。真ん中とは、そのどちらでもないということであり、憎悪を無くしてくださいということではありません。理解をしてくださいということです

こころ(魂)はひとの身体に宿り、つねに感情と葛藤をしているのです。ひととしての生きるあり様、そのものが、こころの成長であるということなのです

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