あるべき姿~感謝の気持ちの編
まえがき
今回「感謝の気持ち」をテーマにした理由は、いまこの世で失われかけている感情のひとつであるからです。この「感謝の気持ち」とはする側、される側などがありますが、そもそもこの「感謝の気持ち」とはこの世界で一番大切な言葉であり行為であるのです
そして、この感謝の気持ちの行為をわかりやすく現わしているのが「ひと助け」ですが、このひと助けもさまざまにあります。わたしのもうひとつの「志」は「互いに協力をして助け合うとこで生まれる笑顔でひとたちが幸せになること」としています
もちろん、わたしの「志」のひとつめは「すべての生きとし生けるものが幸せに満ち溢れた世界にすること」です。この「ひと助け」もそうですが「そんなの無理に決まっているでしょう・・・」、「できるはずがないでしょう・・・」と思うひとはたくさんにおります
でも誰かに何を言われても、どう思われても「志」の意志はわたしだけの自由です。たとえ馬鹿にされても、相手にされなくても、そのひとたちの感情をわたしは受け入れます
そのひとたちの考えることも、そのひとの自由だからです。そして、そのことでもし、わたしが誰かに殺められようとも、ひと助けの信念や「志」はあの世でも続けますし、転生して記憶が一切消されてこの世に生まれてきても、また同じことをしています
どんなに相手を信じて、それで何度も裏切られても・・・どんなに憎悪の魂であっても、相手のあり様である魂を受け入れなければならないのです
それは相手の問題ではなく、いまことばにした裏切りや憎悪を頂いている自身に問題があるのです。きれいごとは言葉でなんとでも言えます。でも目の前で起きていることは事実であり、地獄であるこの世を受け入れなければならないということです
「受け入れられるか、否か」、の葛藤を常に抱えて、だからこそ未熟である魂は、この身体に宿り、こころ(魂)を成長させるために、ひととして生きているのです
たとえ大切なひとを殺められたからといって、あなたは殺めた相手に仕返しという同じことをする行為は、今度は殺めた相手のことを大切にしていたひとから、あなたが殺められるのです・・・憎しみの連鎖であるだけです
憎しみの連鎖は自分のことしか考えていないのです。自分の気持ちが満足すればそれでよいのです。それ自体が我の強さであり因果であることに気づかないのです
やられたから、やり返すという「因果」に気づかないひとに、必ず起きるということを理解しなければならないのです
それでは本編をご覧ください
目次
第一章 本当の姿(因果)~その1
第二章 本当の姿(因果)~その2
第三章 感謝の気持ちとは~その1
第四章 感謝の気持ちとは~その2
第五章 あなたと合わないひと
第六章 感謝されるひと
第七章 ひと助け
第八章 育てる
あとがき
以上