感謝の気持ちの編 (その10)

あるべき姿~感謝の気持ちの編

あとがき

今回のテーマである「感謝の気持ち」について、われわれはすでに気づいています。今回のお話はその対象をできるだけ拡く、深くに実践をしてくださいということです

天災や戦争などの争いごとが起きるたびにひとは感謝の気持ちの大切さを突き付けられます。逆にそうゆう状況でないとひとはなかなか気づかないということです。それだけ魂が未熟であるのです

強欲に支配されたこの世界だからこその話です。そしてひとには自らの因果があるように他のひとには他のひとなりの因果があるのです。あなたがほかのひとの因果を消したり、背負うことはできませんが因果に気づかせることはできます

わたしは、ひとの道理を伝えているだけです。もちろん他のひとは、そのひとなりに「生きる理由」について気がつく時はくるでしょう。わたしの正解は他のひとの間違いであっても、だれかにとっては正解であるはずです

こころのあり様次第で伝えかた、伝わりかたが違えば当然に気づくかた、気づかされるかたもさまざまにあるということです。でもたとえばですが親がこどもに注ぐ愛情とはこどもにとって感謝される側の行為ですが、そのこどもは大人になって気づき、その愛情に対する感謝の気持ちをこどもたちに返します。それがつながりというものです

こどもが産んでくれた親に感謝の気持ちを伝えることは当たり前のことです。育ててくれたひとに感謝の気持ちを伝えることも当たり前のことなのです

ひとは誰かのために、何かのために生きることもこころの成長のひとつです。生きる理由とはこころの成長のことですがこころの成長とは誰かのために、何かのために生きるということでもあります。われわれはこころのあり様次第でそれぞれに役割が在るのです

誰かのため、何かのためにとしたその役割とはさまざまにあります。こどもを育てるひと、家族のために愛情を注ぐひと、「志」を掲げてできるだけ多くの生命(いのち)を助けようするひとなどその役割はたくさんにあるのです

感謝される側として、ひとを助けるひとが多ければ多いほどに感謝するひとも同じくあり、生きる理由に気が付くひとも多くなるということです

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