あるべき姿~感謝の気持ちの編
第六章 感謝されるひと
感謝の気持ちを相手へ自然に伝えられることができるようになったら、今度は逆に感謝をされる側のひとになってみましょう。ひとの思いやりである、感謝の気持ちを感じることができるなら、こんどは相手が感謝をしてくれるように、お返ししてあげればよいだけです
自分がしてもらったらうれしいことを・・・きっと、こうしたら「相手は喜ぶだろう」と、思うことを相手にしてください
感謝をする側はもちろん、される側もそうですが、決して見返りを求めてはいけません。あなたのその気持ちは必ず伝わっています。その伝わる相手は誰にではなく、その行為に、その言葉に、その気持ちは、あなたのこころに必ず伝わっているということです
感謝をするひと、されるひとになるためには、あのひとはどうだとか、このひとが・・・など一切関係ありません。大切なことはあなたがどうであるかだけです
そして、互いの思いやりによる、やさしさのある行為こそが、はるかいにしえでの、ひとが自然のままであった頃の良い因果の世界のことを云うのです
ひとは摂理(自然の法則)のままであった良い因果の世界から、独自の社会を築いて強欲になり、因果を生み出してきました。この世界ではいま因果に溢れた世界であるからこそ、この世は地獄であると云うのです
ひとがつくり出したこの世界では、自らが得をするために、自らが業をするという、自業自得の強欲がすべての原因であり、結果となってこの世が現れているのです
こころを成長させるためにこの世は地獄であると表現していますが、それがどれだけ不条理であることなのか図り知れません
なんども伝えますが、こころを成長させるために、この世があるのです。そもそも地獄とはひとの感情から生まれた因果の世界のことを云うだけです
地獄と感じる感情を無くす必要はありません。こころのあり様がさまざまにある以上は、地獄は必要悪なのです。それだけひとの魂は未熟であるということです