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- あるべき姿~次にどうするのかの編
第一章 慈悲と憎悪
あなたの憎悪と慈悲の感情は常に葛藤しています。あなたの目の前で起きる事象に応じて常に揺れ動いているのです。憎悪の感情とはこころが摂理(自然の法則)からはなれた強欲によって生まれた感情です。ます。一方で慈悲とはあなたの身体に宿るこころの奥底にある摂理(自然の法則)のままにある意志のことです
その葛藤において憎悪が慈悲のこころを取り込むのか、慈悲が憎悪のこころを消し去るのか常にどちらかが優位であろうとしています。そしてひとはその憎悪や慈悲の感情を具現化させて鬼や悪魔、また神さまや仏さまとして表現をしているのです。いわゆる善と悪で例えているのです
いま一度おさらいをしますがもともとひとに宿るこころは良い因果であったのに、強欲の感情が生まれ良くない因果となりこころから離れたあり様となってしまっている状態です。その良い因果というのも本来は当たり前のことであり、その「良い」という言葉もおかしな話ですが悪い因果を現わすために良い因果ということばを使っているだけです
また憎悪で具現化されている妖(あやかし)であっても慈悲のこころを大切にしているものがいれば、慈悲のこころがありながらも憎悪に取り込まれているものがいます。もともとはひとであったために、その名残によって互いに理解をしているからこそなのです。妖(あやかし)とはこの世とあの世の間に存在するあり様です
憎悪による妖であっても、もともとは慈悲のこころを併せ持ったひとの感情です。ただ魂が未熟であるために憎悪に取り込まれているのです。そして憎悪がさらに憎悪を取り込んで大きくなっているだけです。それでもわずからながらにも慈悲のこころは残されているのです。ただそれに気づかないほどに憎悪が勝っているだけです
憎悪があなたを取り込まんとするのは、あなたの苦悩、嘆きや叫び、怒りに安堵するのです。あなたに嘆きや怒りなどの苦しみが無ければあなたにさほど興味もありませんが、もっとも嫌悪感のある慈悲のこころは大嫌いで、近寄りたくもない存在です
そして魂を満たすために、次から次へと憎悪の感情を取り込まんとするのです
- あるべき姿~次にどうするのかの編
まえがき
この世だけであなたの「志」が叶うものではありません。ひとの人生など瞬きひとつの時間でしかありません。そんな短い時間であなたの「志」がまっとうできるのであれば更に高みへと望んでください
「志」とは高ければ高いほどに、その価値があるものです。この世でやりきったなどの達成感などあろうはずがありません。もしあるとすればそれはただの自己満足でしかりません。ましてや「志」が終えることなどはあなたが判断をすべきものでもありません
永遠にその役割を担い続けるものと思ってください。この世だけでなくあの世でも、また更に転生をしても「志」に終わりはありません。あの世に時間という概念がないからこそこの世での永遠という言葉で表現をしているだけです
ただ永遠に続くあなたの「志」にあっても変化は必要です。こころの成長に合わせて、変えても構いません。それが「次にどうするか」なのです。過ちや失敗など当たり前です。次にどうするのかが大切なのです
わたしもこれまで3年続いている年6回(いまでは毎月)の書についてその内容については毎回、課題をもって臨んでいますが、次にどうしようとの考えはいつも意識をしています。もちろんまだまだ試行錯誤していますが自分らしさでその世界を創ることはとても楽しみであるのです
そしてみながそれぞれの「~らしさ」でひとつひとつの世界を創り、それぞれの「志」に尽くすひとたちとともに成し遂げてゆくことがわたしの理想です。あえて俗世と呼ばれるひとの社会の中で生きることは、わたしの学びであるのです。煩悩があるからこそ学びがあるということです
わたしは神さまを目指している訳ではありません。ただみなさまと一緒にこころを成長させたいだけです。わたし自身も学ぶことばかりです。でもいまはそれがとても楽しいのです。若いころに何となく感じていたこころ(魂)はいまになって線となりつながってきているのです
「志」に尽くし、こころの成長につなげてゆければとの思いです
まえがき
目次
第一章 慈悲と憎悪
第二章 祠と神社
第三章 次にどうするのか
第四章 誘い(いざない)~その1
第五章 誘い(いざない)~その2
第六章 大きな課題~その1
第七章 大きな課題~その2
第八章 因果と運
あとがき
以上
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