それぞれの道の編 (その6)

あるべき姿~それぞれの道の編

第五章  当たり前のこと

自分にとっての当たり前は、相手にとってはそうではありません。以前よりお伝えをしているようにあなたにとっての正解は他人にとって正解ではないということです。それはそれぞれにこころのあり様がさまざまに違うからです

ひとが育つ環境によって思考はさまざまに違います。そしておとなになればなるほどに育った環境によってつくられた思考も変わってゆくのです。今現在あなたと関わりを持つひとたちも大抵があなたと同じような環境で育ったひとたちが集まります。「類は友を呼ぶ」と言った言葉が使われます

環境が違うから悩みや抱える問題が違うのではありません。ひととひとが関わることで生まれる問題はみな同じです。自分の思い通りにしたい・・・その果てが「強欲」と呼ばれるものです。因果の原因はすべて強欲から始まるのです

こころとは自らの因果に気がつき、悔い改めることを「こころ」というのです

そのことに気がつくために「魂」はもっとも成長する環境で、ひとに宿り生まれてくるのです

こころのあり様とは前世からつながりでありひとの身体に宿り生まれた時には前世でのこころの記憶はありません。あらたにひとと共に成長してゆくのです

そしてどんなひとであってもこころの闇はあります。政治家、医者、弁護士、営業、事務などどんな仕事をするひとでもこころの闇は必ずあります。どんな立場であってもこころの成長をさせることがわれわれの生きる理由であることに変わりないのです

ひとの社会とこころの世界はまったく違います。ひとの社会はお金が中心ですがわれわれが生きる理由はこころの成長だけです。これはこの社会で生きるからこそ自らのこころが未熟であることがはっきりとわかるのです

お金のないひとが事件を起こすのではありません。こころが未熟だから事件を起こすのです。お金があるから幸せなのではありません。幸せとお金は関係ありません。お金があろうが無かろうがお金はこころを成長させる道具・手段でしかないのです。そのことを理解するのがこころの成長なのです

当たり前のこととして、あなたのこころの成長のために必要なことがあなたの目の前に起きるだけです

それがよいことなのか,良くないことなのかさえ、あなたの心のあり様によって必然として起きるだけなのです

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