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- あるべき姿~それぞれの道の編
第二章 さまざまな教え
今日は雨が降っています。この雨はあるひとにとっては恵の雨であり、またあるひとにとっては残念な雨と感じるひともいます。それでも雨は降ります。「志」とは雨と同じで、示す側にあるものです。そしてそれを受けるひとの感情は千差万別であってよいのです
ただし「志」の行動を「諦めろ」ではありません。あくまでも立ち位置のお話をしています。「志」とは太陽、雨、風、雷などの自然の意志と同じであるということです
示す側にある「志」のはじめは小さくて構いません。小さな意志のうちはその「志」は受け入れられますが、それがやがて大きくなるとその考えに相反する考えをもったこころたちに出会います。そして意見交換をしながらもその先には口論となる場合もあり、互いの我の押し付け合いとなってしまうのです
「志」の意志の強さと「我」の強さは同じようであってもまったく違います。「我」とは相手を説き伏せるなど相手を自分の思い通りにする意識であり、「志」の意識とは自らのこころに対する意志の強さであるということです
だから「志」は相手の「我」が強かろうがどうだろうがどうでもよいのです。それよりもできるだけ多くのひとに対して、「志」を深くに伝えるための行動をすればよいだけなのです。自らの意志を貫いてゆくことが大切なのです
こころを自然に溶け込ませてゆけばおのずと自然の意識に触れることができるようになります。冒頭の言葉にあるように自然とはわれわれにさまざまなことを教えてくれています
こころや身体には自然と一体であったときの情報が蓄えられており、それをただ引き出せばよいのです
ひとは脳の思考によって物質的な進化を生みだしてきましたが、本来のひとの進化とは物質的なことではなく精神的な進化が必要であるのです。だからわれわれが生きる理由とはこころがひとの身体に宿ることでこころを成長させてこころ未熟であれば輪廻をするということです
そしてそれらを事細かに伝えているのが仏の教えであり、あまた宗教の教えであるのです。これらの教えは特別なことではなく遥以前に自然と一体であった「よい因果」であったころのこころのあり様であるだけです。強欲による(良くない)因果にこころ奪われたことで見失ってしまったこころを取り戻すための方法や教えであるのです
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