本当の自分とはの編 (その6)

あるべき姿~本当の自分とはの編

第五章  悪魔とは

この世を天国と感じるのか地獄と感じるのかはひとそれぞれでしょう。こころの痛みをしるほどにこの世は地獄と感じるでしょうし、未熟であればあるほどに欲のままのあり様として天国と感じるものです。みなさまのこころにはこの世がどのように映っているでしょうか。地獄でもあり天国でもあると気づいているひとはどれだけいるのでしょうか・・・

邪悪な魂の存在にとってはこの世は天国でしかたないのです。なんでも思いが叶うことができるのですから当然です。ひとの念とはその想いが強ければ強いほどにチカラが増します。そしてその悪い念はそのチカラを利用してひとの魂を操ろうとするのです

悪い念の源泉のほとんどは欲望です。そのために身体に宿る既存の魂を「騙し」、そして「操り」、自らの欲を満たそうとするのです

鬼や悪魔は良い因果から離れた強欲によってつくられた因果の慣れの果てです。因果が因果を呼び、憎しみ、強欲などを増幅させた意識であり。本来のこころから遠く離れた存在であるのです

たとえばもしあなたが慈悲(慈愛)のこころをもって鬼や悪魔と呼ばれる「魂」を助けようとする役割にありその「意志」をもって行うことをしてもチカラ至らず逆にその身がボロボロにされ、逆にあなた自身のこころが取り込まれてしまうでしょう。でもその「意志」を諦めさえしなければ、またあの世からこの世の鬼や悪魔を助けてあげればよいのです

あの世は無限です。しつこいと言われようが何と言われようがそれがあなたの「志」であるならば相手が気つくまで助けてあげればよいのです。どちらの信念・「志」が強いかそれだけの違いです

あなたのこころの中にあるこの世に棲む鬼や悪魔は因果ということを理解していません。もともとは因果から生まれたものたちです。善のことを忘れてしまったわけではありません。強欲のあまりに気付かなくなっているだけです

善である慈愛(慈悲)のこころで邪悪なものに対して道理を理解してもらえるようにすれば良いだけなのです。それが因果であることを教えてあげることが大切なのです
その役割あるものは絶えず繰り返すだけでいつか気づいてくれるまでひたすらに続けるのです。このひとを助けるという「行い」は因果を理解したものだけができる行動です

気づいているでしょうか・・・その「行い」をしようとする「こころ」こそがあなたのことを守るあなたの一歩先を歩く神さま(こころ)であるということです

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