本当の自分とはの編 (その5)

あるべき姿~本当の自分とはの編

第四章  こころのあり様

そのむかし地域によって障がいのあるひとは忌み子として村の離れに置き去りにされたり、先祖の祟りなどと言われては疎外され、その現実を直視しないようにしてきました。その名残からなのか障がいのあるひとを別者としてこころから受け入れるひとが少なくなっていることも事実です・・・

事実として受け入れるためには・・・障がいのあるひとはその子を大切に育ててくれる親の元で必ず生まれてくるのです。障がいのあるひとに宿るこころたちはその身体、自らをもってひとに教えを伝えるためとした役割を担っているだけです。われわれはそれほどに障がいのあるひとから学ぶべきことが多いということです

もしあなたが障がいのあるひとだったらと・・・、こどもが障がいのある子であったらと考えたことがあるでしょうか。当事者である場合、支える立場の場合、または通行中にいつも目にしている光景であったりと、あなたの目の前に現れる出来事や光景はあなたにとって学ぶべきこととして起きているということを理解してください

それはあなたに「こころ」があるからこそ気づかされるのです。その器(身体)が障がいがあるだけの話です。障がいのあるひとに宿る「こころ」はあなたのことをよく見ていることを忘れないでください

そして目を背けようとするわれわれが普通でないのです。その存在自体が「普通」である傷害のあるひとたちに対して「普通でない」われわれにさまざまな教えを授けるために存在していることを理解しなければなりません

その地域によってものの見かた、考えかた、感じかたはさまざまにあります。でもそれはたとえ龍神さまであっても例外ではなく西洋では邪悪の象徴であることと同じです

障がいのあるひとを忌み子とすればあなた自身、因果を繰り返し、こころの未熟さを教えてくれるひとだと気がつけばあなたはさらにこころを成長させることができるのです

どんなに耐え難い環境であってもそれはあなたにとって必要だからこその出来事です。それを受け入れる覚悟さえあれば、あなたが耐え難いとする環境などは今後あなたに起きることはありません

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