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- あるべき姿~本当の自分とはの編
第三章 こころないひと
待ちを歩いているホームレスのひろをみると大体のひとが目に生気が感じられません。もちろん一般のひとでも生気がまるでないひともおられますが・・・こころ感じられずに脳の思考を停止しているからこころとの葛藤がないのです
生気とはこころとの葛藤です。そもそもが「こころ」の存在すら気づいていないのでしょう。これはある意味でただ生きることを目的とした本能によるものだけです
たとえば手入れがされていない神社に神さまは宿りません。そのことと同じです。こころが宿る器(身体)がすさんでゆくとこころもその存在も弱くなります。身体が存在する以上はこころが身体から離れることはありませんが、これはこころはあって無いようなこととなるのです。それはこころに気づいていないということです
でも老人や痴ほうのかたなど一般的な会話が成り立たなくなってしまっているひと、または障がい者のひとでもこころを宿しています
こころは無いようでも、実はこころははっきりと自身を見据えているのです
こころないひととはさまざまなあり様がありますが、やはり代表的にはこころないひとの意味とは大抵は思いやりがないひとのこと、つまり思いやりに反した行動をするひとのことを言います
たとえば虐待やこころを傷つける行為、ひとを殺めるなどをするひとのことが例えられるでしょう。邪気によってこころが操られていたりするとこころの存在を感じなくなります
ある意味でこころないひととは逆に「こころがある」ということ、その存在価値を感じさせてくれるのです
これもまたこころを成長させる環境にあるということです。何も考えたくない、何もしたくないという脳の思考を行動すること(会話を含む)に変えて、こころの存在を身体にある意識として気づかせてあげなくてはならないのです
あなたの身体に宿るこころ(魂)は何とかしてあなた(身体~脳で考える意識)にその存在に気づいてほしいだけなのです
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