生きる理由についての編 (その7)

あるべき姿~生きる理由についての編

第六章  一瞬・・・

障がい者のひとはその存在自体が普通なのです。普通でないわれわれが言うことに一切の価値はありません。普通でないわれわれとは欲に満ちたあり様のことを指しています。ひとは欲に満ちていると障がい者のことなどはほとんど気にしません

本来は目を向けて学ぶべき存在を気にも留めないのです。ましてや毛嫌いをして意識して避けるものがいるほどです。自分とは違うという意識です。それは自分がもしそうなったらと考えると耐え切れないために逃げてしまうのです

だれでも一度は考えたことがあるはずです。もし自分がそうだったら、自分のこどもがもしそうなったら、親がもしそうだったらと・・・でもそのように考えることはほんの一瞬だけであり健常者であるみなさまが当たり前であることに慣れきってしまっているのです

障がい者のかたは決して特別なことではありません。ただこの世で、生きてゆくためにたくさんのひとのチカラを借りているだけです。だからこそ、その気持ちに応えるために当たり前のこととしてこころに受け入れなければならないのです

そして障がい者の親にしてみれば子を育てることは、それがごく普通なのです。普通というのは当たり前であるということです。親が子を育てることは当たり前ということです。ひとが勝手に分け隔てた考えかたをしてしまっているだけです

その当たり前から目を背ければそむけるほどに、それはやがて自分の身の周りに起きるようになります。それは原因があっての結果です。そしてその出来事が起きたときにはなぜ自分だけが・・・とばかりに嘆くのです。受け入れることができないひとにとって「気づき」であるということです

この世もあの世も一切がこころの中にある世界。その中で起きる出来事などはほんの一瞬です。その一瞬とは風が吹けば消えてなくなり、また新たな世界をつくります。こころの成長のために目の前で起きる出来事はすべてがそうあるだけなのです

いつでもどんなときでもあなたの目の前に起きることのすべてはこころの成長のために在るとして受け入れてください。どんな悲劇でも、耐え難い事象でもあなたにとって必要だからこそ起きているのです

それはあなたの因果として起きているということです

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