生きる理由についての編 (その5)

あるべき姿~生きる理由についての編

第四章 こころの存在

この世も、あの世も・・・そして過去も、未来もすべての世界にこの意志(意思)がある限り「こころの成長」があるだけです。そのためにすべての事象があるのです。それはこころの中にそのすべての世界があるということです

こころ(魂)の中にあるひとそれぞれの世界・・・その言葉が正解かどうかもわかりません。いま生きているこの世界すら仮想空間なのかもしれません。もちろんこの世界と並行した別世界があることを提唱しているかたもおります

ただわれわれは身体があり生きることでこの世界に縛られているとも云えます。でもそれはひとがつくった社会の中での話しです。それはこの身体にある脳による思考の世界の話です。でもこころだけはこの世界に限らずすべてにおいて縛られずに存在してあり続けているのです

でもこころ(魂)が身体に宿る以上は脳で考える思考に抗いながらもこの身体の脳の思考や身体を上手に制御してゆかなければならないのです。それゆえにこころは依り代として宿るこの身体を大切にしなければならないのです

こころにある摂理(自然の法則)についてはこの身体にも本能として携えています。それを良い因果として「気づき」を得るためには「善い行い」をしなければならないということです

これまではひとが考える脳の思考に基づいて気づきを記してきましたがこころの成長における一番の行いはひとのためにとした「善い行い」をすることです

そしてひとの身体に宿るこころ(魂)はひとが脳で考える思考やひとの本能である感情といつも対峙しているのです

このようにしてこころを意識した「ものの見かた、感じかた、考えかた」もあるということです

こころ(魂)が中心であることを知りながらもあえてこころ(魂)を成長させるためにこころはこの世界に身を置いてこころを成長させてゆかなければならいのです

ひとがこころを成長させるのではなく、こころ(魂)がひとを成長させるということです

それがこころは神さまと言われる所以です・・・

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