生きる理由についての編 (その3)

あるべき姿~生きる理由についての編

第二章  こころの認識

「こころ」という存在に気づいたときに、あなたはいまのこころのあり様を意識します。いまはどの程度なのか、その先はどうなるのか、その深さはどのような状態であるかということを・・・。そしてもしこころを実体化させるとどうなるのかなどとも考えてしまうのです

ただこころを意識してみても成長段階にあるこころはその意識よりも脳の思考が優先されているのでたとえ念を込めて実写化できてもそれは大抵がもがき、苦しみとも感じる強欲にまみれた姿となって現れるだけです

もちろん本来のこころには姿・形などの実体はなくただ意志があるだけです。こころのあり様がその時々の成長段階で勝手にイメージをしているだけです

こころとの接し方もさまざまです。わたしは直接に見えることはありませんがその代りに自然の空にある雲がその形を現わしていつもそばにいることを教えてくれています。そして多くのことに「気づき」を与えてくれているのです

例えば息吹として風を感じることもそのひとつです。突き抜ける風もあれば、ふわっと包み込む風もあります。特に神社や自然に触れている時に感じることが多くこころとこころが語り合っている時間として意識をしています

こころとこころには言葉での会話などはありません。そもそもこころには言葉が無いので当然です。言葉とはひとの脳にある言語機能によって発せられているだけでこの身体にだけあるものです

だからこころはひとの身体を使って言葉を伝えているだけです。それを言霊と呼びこころのあり様を言葉にして現わしたものです

そのためあの世でもこころとこころの認識や会話などで交わることはありません。すべてがこころの成長のために在るだけです。ではあの世ではこころが成長するための事象などがあるのでしょうか

たとえば天国や地獄などがイメージされることでしょう。もちろんあの世でもこころを成長させるためにさまざまな事象があるだけです

あの世でも、それぞれのこころのあり様次第で必要なことがただ起きるだけです

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