生きる理由についての編 (その2)

あるべき姿~生きる理由についての編

第一章  平等にあること

われわれはこころを成長させるためにさまざまな役割を担います。そのことについて意識をして対応するかたもいれば、無意識の内に行動をしているひともいます

役割とは「志」のことです

その役割を意識しているかどうかは生きる理由について理解をしているかどうかがとても大切です。そしてすべての生きものは「生きる」とはつながることを意味します。動物も植物も昆虫など・・・すべての生きるものは無意識のうちに補い合ってつながってゆく「行い」をしているのです

ただひとにはこころ(魂)があります。身体にある「意識」とは別にこころ(魂)の「意志」があります。そのこころ(魂)を成長させることがわれわれの生きる理由であるということです

たとえば「生きる」ということについて、おとなにはさまざまな境遇があります。こどものいないおとな、障がい者の親、ひとり身によるこどもの親など、このように限定した環境でもそれぞれにあります。仕事をしているひともいればそうでないひともいる、生きるという大きな括りで考えたらひとたちは無数にその境遇があります

ではなぜこうもさまざまに違うのか考えたことはあるでしょうか・・・

これらすべてはこころを成長するためにそれぞれに与えられた環境であるということです。それが生きる理由です。こころはこの世に生まれてくるときに一番こころ(魂)が成長する環境でひとに宿り生まれてくるのです

だからこそ、いまあなたの環境は理由があっての必然なのです。あなたの境遇はこころの成長のためにただあるだけです。それがすべてなのです。こころの成長はその時のこころのあり様次第でもっとも成長する環境が与えられるのです

そしてこころが成長するために与えられる環境は、そのときのこころのあり様次第ですべてが平等なのです。こうして輪廻を重ねながらこころ(魂)を成長させてゆくのです。われわれはまずその事に気が付かなければなりません

どんな境遇にあってもこの生きる理由を理解してください。こころを成長させるという意識があるかないかではその結果もまるで違ってきます

いまあるあなたの環境が問題なのではありません。あなたにとってこころの成長のために必要だから、いまのあなたの環境があるということです

こころを成長させてゆくことがわれわれの生きる理由なのです。それは生きるものすべてが平等であるということです

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