生きる理由についての編 (その1)

あるべき姿~生きる理由についての編

まえがき

2020年は「因果について」、それは原因があっての結果であると云うことを伝え、2021年は「神さまはいない」をテーマにして神さまを信じないかたでも道理というものを記してきました。そして昨年は少しだけ神さまの意識に触れてみるということを伝えてきましたが今回はもう少しだけ深く広くにお伝えができればと思います

これまでの神さまに触れるというお話も随所にありますが改めて意識をすることで考えかたが違って感じることができれば幸いです。また以前はよくわからず流していた文章もなんか今度は言っていることがわかるなどの気づきもあればうれしく思います

みなさまにお伝えをする書き物としていながら本当は自らの魂がこころへと成長するための言葉の数々です。わたし自身のこころ(魂)のあり様がまだまだのために読まれるかたにとってはそんなの当たり前といったことがこれまでにも多々あったことでしょう

でもそうでないひとがいるのなら一緒に読んでいただきこころ(魂)が成長してくれるのならそれ以上の喜びはありません。わたしの考えはひとりが万人を助けるのではなくひとりがひとりを助けることを目的にたくさんのひとのこころ(魂)が成長すればよいとの考えです

その理由ですがはじめから万人を助けたいなどと思うひとのほとんどは邪(よこしま)な考えをもつものです。そしてそうゆう考えをするひとに対してはそれこそ、ここぞとばかりに邪悪な意識はチカラを貸すのです。そして結果、そのひとは誤解をして傲慢になりそのチカラを過信して囚われてゆくのです

万人を助けるとはそれは結果の話です。誰でもそんな簡単にひとのチカラで成すことはできません。でもひとりのひとを助けることなら、なんとかできるかもしれません。だからこそできるだけおおくのひとがこころを成長させなければならないのです

ひとがこころを成長させるために因果を例えるならそれは「因果とは原因があっての結果である」ということです。そして「志」を掲げるものは良い因果のことを「理由があっての必然である」ということを知っているのです

それでは本編をご覧ください・・・


まえがき

目次

第一章 平等にあること

第二章 こころの認識

第三章 守るべきこと

第四章 こころの存在

第五章 「ひと」と云うあり様の成長

第六章 一瞬・・・

第七章 こころの成長

第八章 これまでの学び

あとがき

以上



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