ものの考えかたの編 (その10)

こころの成長~ものの考えかたの編

第九章 こころの成長~その2

前章からの続きです・・・

誰かのために・・・ひとのために・・・

たとえあなたが「ひと」であっても・・・またすでに他界をして常世にある精神的な「こころ」であってもこの世のひとを支えるといった「意志」は同じです

その相手とは、ひとであればあなたの家族など大切なひとたち、こころであればあなたが役割とする守るべきひとのことであり、ひとのために・・・とは相手のこころを成長させるための手助けをすることを云うのです

そして受ける側も「こころの成長」を意識していないと、その「教え」に気づくことはありません

こころに気づき、さまざまな「志」に導かれるひともいれば、因果もまた相も変わらずに手を変え、品を変えて強欲の限りの意識を強く保つようになるのです

そうして因果も広く、深くにこころを支配しようとして強欲である「意思」は自らを守るためにチカラが増すようになるのです

それが「天使と悪魔」や「仏と悪鬼」の対称的のように称される構図をひとはよくイメージをするものです

ただそれは善があるから悪があるのではありません。悪があるから善があるのです。もともとは善なる言葉自体がありませんでした。それは善が当たり前のことであったからです

ただ強欲によって悪が生まれたことで善が大切なことだと理解されるようになっただけです

そして善と悪という二極化をすることはこころを成長させるためにわかりやすい例えとして在るだけであり、あくまでも摂理(自然の法則)がただひとつあるだけです

確かにこの世は因果の世界ですが因果はこころを成長させるための役割であるに過ぎないのです

そしてこの世では「ことば」だけではなく「行い」をすることではじめて「善と悪」の意味を知ることになるです・・・

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