ひととしての編 (その10)

須佐神社にて~素戔嗚さまと八岐大蛇(豪族であったひとのこと)のにらみ合いでしょうか・・・
こころの成長~ひととしての編

あとがき

わたしが綴る言葉は「志」ある先人たちの意志を書き記すものです

わたしが特別なのではありません。先人たちの強い意志が伝わるだけです。わたしはその言葉をみなさまに伝えることが役割であるとしているだけです

先人のみなさまたちは声で発することができないのでわたしがその「意志」を代わりに伝えているのです

こころのあり様はさまざまにあります。わたしにとっての正解はみなさまにとっての間違いなのかもしれません

ただこれまで書き綴ってきた言葉の数々のどれか一節でもみなさまが「志」を掲げる気づきやきっかけにつながればとの思いはいまも変りません

わたしがこれまで書き続けてきた書きものは先人たちの想いが託されているものです。読み手のみなさまのこころのあり様はさまざまに違うことでしょう

いま読んでもわからないことが後で気づくこと・・・、また違った解釈で理解できるようになることなどさまざまにあるのです

みなさまのこころに引っかかる言葉との出会いは偶然ではありません。それはみなさまにとって必要だからこその必然であるのです

それはわたしだけでなくみなさまもにとっても同じです。先人のひとたちの信念・「志」をつなげる役割はみなさまにもあるのです

先人たちはたとえ身体なくとも、声に発することができなくとも、なんとかしてわれわれに「意志」を伝えようとしているのです

生きる理由とは「こころの成長」です

先人たちの「意志」をつないでゆくこともいまを生きているわれわれの役割であるということです

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