ひととしての編 (その3)

須佐神社にて~素戔嗚さまと八岐大蛇(豪族であったひとのこと)のにらみ合いでしょうか・・・
こころの成長~ひととしての編

第二章 取り戻すために

あなたが「失ったもの」を取り戻してその後はどうするべきなのでしょうか・・・
はじめにあなたが「失ったもの」に気づくことは前章の通りに大切なことです。そしてそれを「取り戻すこと」についてなぜ取り戻す必要があるのでしょうかという疑問は必ずあります。でもその問いに対する答えは「あなたがいま生きている理由は何でしょうか」という言葉に隠されているものです

その理由について即答できるひとはほとんどいないでしょう。生物学上の話や、親が勝手に産んだからというのは仮定や事実の話しであって「理由」ではありません。でも本来は「そんなことはどうでもよい」というのがこの世の答えでしょう

またはそもそも知る必要がないと答えるひともいます。でもその先があっても良いのではないでしょうか。わたしがこれまで一貫している通りにいま起きていることには必ず理由があるのです。だからこそにあなたがいまを生きることには必ず理由があるとしているのです。その例外は何ひとつありません

そのくせ大切なひとのためと理由付けをして「なんでこうなったんだ」、「なぜそうしたのか」などしきりに自他ともにその理由を問い正します。でもひとが生きる理由についてはだれも考えようとはしません。そんなことは知らなくても生きて行けるからです。そして生きていることが当たり前だと思っているのです

そのような人生を寿命尽きるときに振り返ってみた時に何か記憶は残っているのでしょうか。想い出すことは何もないままに何をしてきたのだろうかときっと自分に問いかけるのです。それを何度同じことを繰り返せばよいのでしょうか

たとえ自分の笑顔の情景は想い出せずともだれかを笑顔にさせた想い出が浮かぶ、だれかの役に立っていたこと、そんな人生だったことを想い出すことができるならその時にやっと「まあまあだったかな」と自身の人生に納得ができるのです

わたしが説く生きる理由とは「こころの成長」をさせることです。そのために生きているのです。こころの成長とは具体的にあなたが「失ったもの」を取り戻してひとのために役に立つ行動をするということです

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