ひととしての編 (その2)

須佐神社にて~素戔嗚さまと八岐大蛇(豪族であったひとのこと)のにらみ合いでしょうか・・・
こころの成長~ひととしての編

第一章 失くしたもの

ひとは欲をひとつ覚えるごとに大切なことをひとつ失ってゆきます。失うとは消えることではなく気づかなくなるということです。それが欲のままにこの世で生きるということです。ひとがこころを成長させるというのはその失ったものをひとつ一つ取り戻すことに在るのです

ただその多くはひとが一通りに経験をしてきたひとがそのことに気付くのです。逆にそれは一通りの人生の経験をしなければ気づかないことでもあるのです。ひとは多くの失敗を重ねることでしで学ぶのです。そのためにはこの身体がどうしても必要なのです

そしてその失われた大切なものは、こどもの頃にはすべてあったものです。生まれた時にはひとからの愛情などさまざまな良い因果の慈愛を受けて育ちます。でもある時から欲を覚えることでそれがひとつ一つに気づかなくなるのです

また憎しみは憎悪となり、あなた自身と他のひととの比較はさらなる優越感を求めて強欲となります。でも欲を満たすことで感情は安心するのです。それはわれわれが生きる理由もわからずに社会に流されて生きているのが良くないということです

みなさまは当たり前のように感じているでしょうが女性のひとがこどもを育てるということは立派な役割のひとつです。未来のこどもたちを育て大切な意志を残すことはとても大変なことなのです

そして社会で生きながらに摂理に気づきその意識を保つことなどはとても大変です。でもわれわれはこころを成長させるためにそれをしなければならないのです。もちろんその役割である具体的な手段、方法のあり様はそれぞれにあります

国家がどうとか世界がどうとかの言い訳は必要ありません。われわれひとり一人が気付いて常に意識をしていれば良いのです。おもいやり、やさしさなどもわれわれが失いかけているひとつです

ひとに手を差し伸べることはいらぬお世話と感じるような世界です

でも・・・ただ忘れてしまっているだけです

あなたが失くしたものはあなたが大好きな映画やテレビ、そして本の中で表現されています。それらが大ヒットするのはみながその失くしたものを無意識に感じているからです。ただ自分がどう表現してよいのかがわからないだけです

でもそれがあなたの役割の一つなのです。あなたの一番大切なものを見つけてください。それがあなたのひと助けをするための手段・方法です。そしてひとは寿命尽きるまでその役割に尽くさなければならないのです

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