役割のある世界の編 (その3)

こころの成長~役割ある世界の編

第二章 時間

古くからよくあのひとは他界しましたという言葉を使います。身体の役割が終えたときにその身体からこころが離れ精神世界へと導かれることを言います

ひとの一生ははかなく切ないものです。それは時間という観念があるからです。ひとはこの世で生きる理由を知るものもいれば何もわからぬままに未練だけを残してあの世へと行くひともいます

またたとえ生きる理由を知らなくてもこの人生にやり残したことなく満足して生きてきたひとたちなど無意識のままに役割をまっとうして人生を終えるひともいます

この世に在る時間とはそもそもあの世である精神世界にはありません。時間を意識する環境(世界)ではないということです

時間とは物質世界おけるこの世で身体があるからこその時間なのです。太陽が昇り、陽が沈み、それを一日の時間とするなど常に自然との関わりを軸にして時間という観念をつくってきたものです

ただひとはあの世(精神世界)へと移りこころだけとなってもこの世の名残りとして時間という認識はあるのです

でもその認識はほどなくなります。あの世ではこころの意識は眠ることなく常に意識して在るために次第に時間という感覚を忘れてしまうのです

ただ時間がないあの世(精神世界)であっても唯一時間に例えることがあるならばそれが「こころの成長」という意識こそが時間に置き換えられることができるのです。
あの世でも「こころの成長」こそがこころの役割のあり、それは唯一時間に等しいものであるのです

あの世でのこころの成長とはただただそれぞれにこころのあり様次第で更なるこころを成長させるために必要な世界を意識させられているだけです

もちろんあの世では他のこころとの会話などあろうはずもありません

ただこころのあり様より感情が強く現世(この世)に未練があるほどにあの世では感情の世界が映し出されるものです

すべてはこころのあり様次第で見かた・考えかた・感じかたが違うだけなのです



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