自然についての編 (その7)

こころの成長~自然についての編

第六章 言葉とは

あなたはこころから信じられるひとがいるでしょうか

これはとても難しい問いのひとつです。こころから信じるとはどこまでを信じるのか、信じる相手との気持ちは一方通行で良いのかまたは両者とも同じ想いでなければならないのかなど・・・

または都合よく解釈をして愛を通じて信じられるひとがいるかどうか、お金を通じて信じられるひとがいるかどうか、友人として信じられるひとがいるかどうかなど細かく理由付けをするのです

では上記のように細かく理由付けをしたら「あなたが信じられるひと」はいるのでしょうか。もしくは更に細かく分類しなければならないのでしょうか

「信じる」と言う言葉にごまかされているのです
「信じる」とはどのようなことでしょうか・・・

このようにしてもともと「信じる」とは良い因果の世界での当たり前であった言葉を「悪い因果」の対義語として生み出された言葉であるから「信じる」という言葉を難しく考えてしまうのです。それほどまでにいまの世は傲慢なひとが中心の世界となってしまっているのです

「信じる」という言葉は良い因果の言葉でありもともとは当たり前のこととしてそのような言葉はありませんでした。ただひとが欲に溺れることでうそをついたり裏切る行為を重ねてひとのこころを傷つけるようになったからこそ希望の言葉として「信じる」という言葉が生まれただけです

このようなたとえはほかにもあります。例えばあの世に在るとされる「天国」と「地獄」などもそうです。ひとの因果によるいじめ、虐待、殺人などの行為そのものが「地獄」なのです。ただひとは常に希望を求めるために生まれた言葉が「天国」という言葉であるだけです

ほかにも「幸せと不幸せ」などもあります。これらのすべては「因果」から生まれた都合の良い言葉なのです

そして起きる出来事を「点」で考えるのではなく「線」で考えることができるならば冒頭の問いに対するみなさまの「~らしさ」によってそれぞれの答えが導かれることでしょう

わたしなりの答えは・・・
「ひとを信じることよりもあなたがひとから信じられるひとになってください。そうすれば自ずと答えが見つかるようになります。それは「信じる」という言葉がなくともそれが当たり前のような世界である」ということです

みなさまの答えはいかがでしょうか・・・

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