己が自身の編 (その6)

神さまはいない~己が自身の編

第五章 誇り

「あなたのプライドは何ですか」と、聞かれたらほとんどのひとは自分のことを考えその答えに悩むことと思います。誇りとは本来は自分のためにあるものではなくひとを助けるためにある言葉です。誇りという言葉の行動がひと助けであるのです

自分だけのプライドなど何の価値もありません。他人からすればそれはただの自己満足です。またプライドに自己犠牲は必要ありません。それは自己犠牲もまた自己満足にすぎないからです

そして誇りとは信念であり「志」のことを言うのです。だれにでもあるこの「志」はみながそのことに気付いていないだけです。気づかなくなってしまった原因は欲であるのです。ひとのために尽くすということを忘れ、自分の欲のためにだけの行動をするようになったがためです

長い年月をかけてひとのために尽くすという本来は当たりまえのことなのに自己欲が中心の世界へと変わってしまったのです。欲が中心であるこの世界だからこそ、冒頭の問いに対してすぐには答えられないのです

またその欲が原因による感情にあるのが憎しみと怒りです。もともと憎しみとは憎悪と呼ばれるくらいに相手に対する感情です。そして怒りとは自身の考えや行動に関わる自らの感情が原因によるものです。憎しみは長い時間を経ての積み重ねですが怒りは衝動的な行動です

動物の誇りとはただ純粋に生きるためだけの行動が誇りそのものでもあります。動物にある感情は生き抜くための本能そのものなのです。ただひとはさまざまな感情を持ち合わせているために葛藤をして失われた誇りを取り戻そうとしているのです

でもひとには生きることにはさして必要のない感情が数多くにあります。ひとには言葉があるからそれらを言葉として数多くの表現をしてきているのです

本当は前述にある必要のない感情などなくすべてがひとにしかない大切な感情なのです。ただそれをコントロールできない意識が未熟なだけなのです。だからこそ当たり前のことを特別のような表現の仕方で伝えなければならないのです

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