己が自身の編 (その5)

神さまはいない~己が自身の編

第四章 才能

ひとは極限に追い込まれるほどの体験をすることで精神的に成長をします。「志」の意識とはこのようにして培われてゆきます

「志」との出会いはいつでもどこにでもあります。あなたが日常で体験することすべてが出会いです。そこにあなたが意識するかしないかの問題です。「志」とは自身で気づくものであり、才能とは努力の結果であり相手が判断することです。「志」を意識した行動は努力をした結果である才能と同じです。行動と努力は同じことなのです

「志」とはあなたが夢中になれることであり、その結果がひと助けにつながっていることです。夢中になれるということはなんごとのも惑わされずにあなたの意識を高めてくれるのです。ひと助けとは言葉ではなく行動です。幸せにするという抽象的な言葉でなく、笑顔にするという具体的な行動の結果(才能)のことです。そして笑顔にするということが幸せであるということなのです

われわれが為すべきことに不利な要因はだれにでもあります。でもそれと同時にほかのどのひとにもないあなただけの特別な才能も必ずあります。あなたに才能がないと諦めることは簡単ですが、われわれの全員に備わる才能(チカラ)はただあるだけでなく行動をして発揮されるものです。それはみなさまがもつ「~らしさ」でありその「~らしさ」の才能を磨いてください

どんな環境であっても生まれたときからが始まりでありみなが同じです。でも寿命尽きるまでにさまざまにある才能に気付かないひとがほとんどなのです。気づかないひとのほうが圧倒的に多いからその中でも気づいたときにはそれを周りのひとからは特別という言葉が使われるのです。自分が特別と感じるものではありません。なぜなら才能とは努力によって養われるものだからです

みながそれぞれにもつその才能は行動をして気づいてゆかなければなりません。それが「志」というものであり「志」とは言葉ではなく意識をした行動のことです

あなたにしかできないこと、いまこのときにしかできないこと、「志」という意識をした行動に限りはありません。常に考え続けてください。ひとはそれを努力といい才能と言うのです

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