己が自身の編 (その2)

神さまはいない~己が自身の編

第一章 「志」の壁

相手を変えるのではなく、自分が変わるのです
この意味とは諦めてくださいとしているのではありません
なぜ相手を変えようとするのでしょうか
自分が正しく相手は違うからでしょうか
それとも自分の思い通りにならないからでしょうか
いずれにしてもそれは一方的にあなたの考えを相手に押し付けているだけです

このようにしてあなたの「志」が高ければ高いほどにその壁も高いのです。なぜならあなたの目の前にいるそのひとはあなたのその傲慢さを気付かせようとしているのです。それは相手のひとがあなたを変えようとしていることに気付いてください

あなたの「志」についてその行動は・・・
ただ伝えたいということだけであなたは満足しますか
相手が自身の考えを理解してくれるのであればそれだけで満足ですか
理解だけでなく一緒に行動をしてくれたら満足なのでしょうか

これは自分の考えを押し付けることの傲慢なのでしょうか
そのことに気づかせるために相反するひとが目の前に現れているのでしょうか
それでは「志」とは何でしょうか。同じ考えをもつひと同志が集まって成し遂げてゆくことがいけないのでしょうか。良かれと思うことを相手に伝えることさえも傲慢と言われるのでしょうか

それはあなたの行動が間違いということではありません。ただあなたが行動をすれば相反するひとが必ず現れます。または伝えてもまったくの無反応であったりすればなぜわかってくれないのかとその結果に惑わされます。あなたが感じる悩みや疑問に対してあなたの目の前で起きていることは事実であり。あなたへの答えであり、あなたへの教えであることに気付いてください

間違えてはいけないことはこの高い壁に対して立ち向かうことではありません。抗えばするほどにずっと同じことを繰り返します。この立ち向かうとは相手に巧な話術で説き伏せることでもありません。あなたの目の前に起きることはすべてが事実であり、その事実があなたに教えを説いているだけです

あなたの「志」ある行動に対する弊害や障害を感じることは確かに立ちはだかる壁ですが説き伏せて乗り越えるための壁ではありません。冒頭にある「自分が変わればよい」というのは相手が教えてくれていることに気付いてくださいと云うことです

もし相手が困っている状態であればあなたはそのひとを助けなければなりません。またもし「志」を求めるひとであればそれはむしろ必然的にあなたの前に現れます。ですがいまあなたの目の前に現れるあなたの考えに常に反する言動をするひとはあなたと同じようにあなたのことを説き伏せようとしているのです。互いにおなじことをしていることに気付いてください

このようにしていまのあなたに必要とされる現実が起きているだけなのです。何を伝えたいのかというと原因があっての結果であり、理由があっての必然であることに気付いてください。更にその先に進みましょうと教えてくれているのです

超える相手は他人ではなく自らのこころのあり様です

「志」あるひとへの壁とは己が自身でその教えに気づいて壁を乗り越えてゆかなければならないのです。このようにしてひとは更なる高みへと成長してゆくのです

それがこころの成長です

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