不条理の編 (その9)

神さまはいない~不条理の編

第八章 不条理の意味

ひとは自分のチカラではどうにもならないことの深い悲しみを経験して己の無力さを感じることで正しい道を知るのです。

われわれはみな誰かのために生きています。その誰かとは・・・たとえ相手がそのことに気付いてなくとも構いません。相手が問題なのではなくその考えを貫き通すあなたの覚悟が大切なのです。もし相手に裏切られていても自らの至らなさを責めて反省してください。相手を責めることはあなたの傲慢です。あなたに裏切られる原因があっただけです。

どれだけ自己犠牲をすればよいのかと思うでしょうがすべては自身の至らなさが原因です。

相手を責めてもあなたは成長しませんが自責の念は何よりものあなたのひととしての成長をさせます。これも教えなのです。

頑張って努力をしたのに結果が出なければ努力したことに意味はない、それなら最初から努力などしなければよかったと考える人がいますがこれは大きな間違いです。

この行動・言葉の本当の意味とは「結果よりも、毎日努力を積み重ねてきた」ことに意味があるのです。

これが本当の意味ですがひとはそれを前述のような考えで努力が無駄であると理解をしてしまうのです。これが不条理というものなのです。不条理とは感情そのものなのです。

そして不条理とは嘆きの言葉ではなく希望の言葉です。意識を変えてみてください。なんでも不条理という言葉で終わりにしようとするからいけないのです。シーシュポスの罰である大きな岩を山頂まで運ぶのがあなたの罰(役割)ならその岩が何度麓まで転がり落ちてきてもまた山頂に運べばよいだけです。これを苦悩ではなく希望として意識してみてください。

役割とは「なぜ何度も」ではありません。「もっと運ばなければ」なのです。大きな岩を山頂まで何度も運ぶのがあなたの役割なのです。役割とは「志」のことです。
そして「志」になぜはありません。


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