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- 神さまはいない~不条理の編
第七章 すべてが同じです
勝って得るものより負けて学ぶことのほうがひとは成長をするのです。ただ現実にはなかなかそのように感じることはできません。大抵は若ければ若いほどに勝って慢心をして、負けて悲観に明け暮れるものです。
ただ人生の一通りを経験したものにはその意味がよくわかるでしょう。そして道理を知る者はかならず他のひとに教えるという役割があります。このようにしてひとにはそれぞれに役割があるのです。
あなたはまえがきに記載をしているシーシュポスの罰を理解できるでしょうか。あなたが当事者(シーシュポス)であり、いまでは理解をしていてもなおもその罰を受け続けることができるでしょうか。
実はこの罰と同じような話が日本にもあり、その罰とは地獄で鬼が人間の身体を永遠に拷問するというものです。
地獄の世界では気絶をすることなくただひたすらに恐怖と痛みを感じ続けるのです。ひとつ一つの爪をはがされて、目に針を突き刺されて、のこぎりのようなもので腕が切れられ次に足が切られてゆくのです。でもある時に一瞬の風が吹くとそれまでの記憶が一切無くなり最初からまた同じことを繰り返すという罰なのです。そしてこれが永遠に続くのです。
地獄の罪と罰はこの世での因果応報です。そしてたとえ地獄が空想の話だとしても実際にこの世界のどこかで必ず起きていることです。なぜならこの世界こそが地獄であるからです。いじめも殺人もひとを騙すことも行為者である鬼(ひと)がいてそれを受ける側のひとがいるのです。ひとがひとを傷つける行為が当たり前のように行われており決して地獄とは空想の話ではないのです。
われわれはこの世界が不条理であるということを感じている以上は何も変わらないでしょう。これをどうするかについてはこの不条理の編で書き綴っている通りです。当たり前のことが当たり前でない世界です。まずはその当たり前でないことが何かを知らなければなりません。
われわれはひとのために生きようとする意識が根本です。お花が花を咲かせるために生きることと全く同じです。ただ素直なだけでよいのです。お花もひともすべての生命は全て同じなのです。
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