不条理の編 (その4)

神さまはいない~不条理の編

第三章 欲

不条理と感じることは強欲であることです。強欲であるがゆえの不条理であり、素直なひとは同じ出来事であってもそれを不条理とは感じません。このようにして不条理はひとの愚かさをさまざまに教えてくれるものです。

不条理を感じるひとほど多くの悩みを抱え素直なひとほど悩みなく笑顔が多いのです。いつも伝えていますが欲を無くせということではありません。ひとを助けるための欲は大切であり、ある意味でその欲は希望でもあります。欲の感じかた、使いかたが大事なのです。ひとを騙して傷付ける強欲がいけないのです。

この不条理という言葉もいまになって使われる言葉です。時代を遡るほどにその感覚を感じることはありません。不条理を感じるひとは同じことを何度も繰り返し、同じ悩みを何度も繰り返します。

大体はあなたの思い通りにゆかないことがその始まりです。なぜあなたの思い通りにゆかないのでしょうか。例えば明日はひとりのひとを笑顔にしてみようとすればあなたの思い通りにできるはずです。笑顔とは相手を幸せな気持ちにさせることでもあります。でも欲しいものを手に入れるためにはお金が必要だから、明日はどうやってお金を得ようかと考えてもあなたの思い通りにはゆかないでしょう。この違いがあなたにわかるでしょうか。

「ひとのために・・・」と「自分のために・・・」とした違いです。

お金を求めるひとはお金に悩み、お金に興味ないひとはひと助けを求めます。そして
お金を求めるひとほどお金は離れてゆき悩み、興味がないひとほどお金が寄ってきてみなが笑顔となるのです。この道理がわからないから同じ悩みを繰り返すのです。

そしてお金を必要とするものは更にお金を求め、お金が必要ないひとははさらに多くの笑顔を求めようとするのです。これらはお金を求めるひとにとっての不条理であり、ひと助けを求めるひとにとっての道理であるのです。

お金があってひとを助けることはそのひとの使命であり当たり前のことです。でもお金がなくてもわれわれができるひとを助けとは「志」であり、われわれにとっての宿命なのです。

言葉を行動にして知らしめることができるのはひとだけです。それを何故しないのでしょうか。


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