不条理の編 (その1)

神さまはいない~不条理の編

まえがき

ひとが生きるにあたっては不条理の連続です。ただ本来、不条理の意味とは不合理であること、常識的に反していることとされています。
この世界で理不尽なことや納得できないことを不条理であるとして、この不条理という言葉を聞くと真っ先に思い浮かぶのが「シーシュポスの神話」というアルベール・カミュが描いた作品です。

要約をすれば神の怒りをかったシーシュポスは大きな岩を山頂まで運ぶという罰を受け、それは懸命に岩を山頂まで運んでもその途端、岩は勝手に麓まで転がり落ちそれを永遠に繰り返すことです。

シーシュポスは岩を運びながら何故こんなにも辛く大変な思いをしながら繰り返しているのだろうとひたすらに悩み続ける世界感を説いているものです。意味を持たない世界で意味を探すことは何か。たとえばひとは必ず死ぬのになぜ生き続けなければならないのかなどひとの運命について問いているものです。ただ最終的にはこの不条理のすべてを受け入れれば幸せになれるとも言っています。

これらの問いについての答えはひとそれぞれのの環境によってだいぶ変わるものでしょう。ただその環境はひとに与えられたものではなく自らが創りだしたものです。そしてこの不条理もまたひとが創りだしたものと理解をしなければなりません。
わたしなりの応えは「不条理を探し求めて、不条理とともに生きることに意味がある」としています。

この世界は不条理に囚われていることばかりです。この各章では不条理について少しずつひも解いてゆければとの思いです。

これまでのわたしの書について記載していることはわたしなりの正解であってみなさまにとっての間違いであることは常に意識をしていてください。

わたしの書き物を踏み台にしてみなさまの気づきにつながればそれでよいのです。読みながら常にみなさま自身の想いと対峙してみてください。みなさまが感じることやその想いがみなさまにとっての正解です。

このような気持ちでこれまでの書を含めて読んでいただけるととてもうれしく思います。

それではこれより本編をご覧ください

目 次

まえがき
第一章 なぜ
第二章 道理
第三章 欲
第四章 ありのままに
第五章 理由
第六章 いまからでも
第七章 すべてが同じです
第八章 不条理の意味
あとがき

以上

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