慟哭の編 (その7)

神さまはいない~慟哭の編

第六章 自然の流れ

ひとのため、生きもののためと言いながら結局はなにもしないひと・・・
それは・・・
行動の仕方がわからないのでしょうか
行動する勇気がないのでしょうか
そもそもそうした言葉たけなのでしょうか

自発的ではなくだれかに言われてするひとはそれほどたいした行動でもないのにやたら恩着せがましくおおげさに、さも自分がすごく大変なことをしているかのように言って逆に相手を困らせるものです。たぶん本人にとってはこれまでとは違う、はじめての行動だったからこそ無意識に自分の行動を自慢したく大袈裟に言うのです。

そしてもし行動に結果が伴わなければその結果については他人のせいにして更にその無駄になってしまった時間に腹が立ち気に入らずに不平をまき散らします。

道理とは線でつながっているのです。そうなることがわかっているからこそ、改めて欲しいからこそこのような状況が起きるのです。結果には必ず原因があるのです。

このようにしてあなたが経験するすべての状況はそのことをあなたに気付いてほしくて、あなたに理解してほしくて事象が起きているのです。この場合は、相手を責めずに結果を受け入れて黙って「そうだね」と言えば良いのです。相手が間違えていても文句を言わずに「こうすることもできたね」と伝えてあげれば良いのです。相手を正すのではありません。あなたが変わるのです。相手のひとはあなたが正さずとも必ずいつか気づかされます。

ひとが間違えることは必ずあります。それはあなたが学ぶために起きることです。決して相手を責めてはなりません。ひとが間違えているのではなくあなたが試されているのです。何ごとも相手の問題ではなくあなたの問題としてその事象が起きていることを理解してください。

道理とは自然の流れを意味することです。あなたの目の前で起きるすべての事象はあなたに正すべきことを伝えたくて、気づいてほしくて起きているだけです。すべてを受け入れて、いま自身に起きていることが学びであると理解をしてください。

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