慟哭の編 (その5)

神さまはいない~慟哭の編

第四章 不安

これより記載することは「志」あるかたたちに伝えるものです。「志」掲げるものはそこに至るまでにさまざまな壁を乗り越えていまがあるのです。でももしあなたがいま思う不安や考えがあるのなら、それは「志」を疑うものではなくそのやり方・方法に不安を感じているだけです。

「志」が高いひとほど、責任感が強いひとほど「なぜ」という自分の無力さに気づかされます。そして自分の行動は本当にこれでよいのか、間違っていないのかと疑問を感じてしまうものです。

自信をもって行動すればするほどに相手は理解してくれているだろうか、本当に伝わっているのだろうか、なぜ、何故?と不安になってくるのです。

「志」ある行動とは義務ではありません。あくまでもひとのために、「志」あるままの自発的な行動であり、他人の行動や言動に惑わされてはいけません。あなたにはあなたの「志」を貫く方法があります。それは他の「志」あるものとその方法が同じでも、違っていてもそのことが問題なのではありません。

たとえばわたしの場合はひとのこころの成長を目的にその気づきを知ってもらうために自身の考えで書きものをしています。

わたしが信じる「神さま」とは先人たちのことです。信じる・信じないではなく過去に「志」ある行動をして生きてひとたちを敬っているだけです。そして教えてきてくれたことを後世のひとたちにつないでいるだけです。

ひとに足りないことは別の満たされることでひとのこころを成長させています。さまざまな環境で育った考え方はさまざまな長所となって活かされてゆくのです。「天は二物を与えず」とありますがこれは長所をひたすらに伸ばしてその長所をひとのために役立ててくださいとしたものです。

あなたの行動は決して間違いではありません。もっと良い方法があるのかもしれませんがそれは自然と気づくものです。他に惑わされずあなたの信念に基づいて進んでください。

一歩ずつが大切です・・・

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