慟哭の編 (その4)

神さまはいない~慟哭の編

第三章 葛藤

ひとと争うことはとても疲れます。もちろん生死をかけた争いではなく互いの意見が対立する葛藤においてです。ただ相手の意見とは合わないときに反論をしてひとと対立をした場合など感情だけで互いの意見をぶつけ合うことはとても疲れるのです。

これは相手の意見を受け入れずに互いに自分の意見だけを正論として振りかざし続けることは結果としてそれほどの価値を見出すことはできません。

なぜそれほどまでに主張するのかはあなたの責任感が強ければ強いほどにその葛藤も大きいからです。

自分が何とかしなくてはいけないとの強い思いから自分と同じものを相手にも求めてしまうからです。そして相手が自分の思い通りでなかった場合には必ず対立をしてしまうのです。

責任感の強いひとは当然にその能力もあり自分が一番良かれと思った考えや行動をするのです。そして意に反する相手にはなぜできないのか、なぜわかってくれないのかとその葛藤に苛まれるのです。

そのことに本人自身は気づきません。逆に相手を責めることしか満足ができなくなってしまうのです。

責任感が強い、傲慢、我がまま、自己満足・・・実はどれも同じです。相手のこころのあり様で感じかたが、受け取りかたが違うだけなのです。

ひとには必ず役割というものがあります。完璧なひとはいません。チームであれば互いが補うことで個のチカラが数倍にもなり魅力あるチームとなるのです。もしそれが個のチカラを競うものであれば自身の特徴が生かせることに挑戦をすればよいだけです。

チームであっても個人であっても会社でも学生でもひとが成すことはすべて同じです。自分ができることを、自分にしかできないことをただひたすらに行動をしてください。

あなたが必要とされる場所にかならず導かれます。

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