仮想現実の編 (その3)

神さまはいない~仮想現実編

第二章 言葉の実践~当たり前とは

水の中にいる魚
空を飛ぶ鳥
地を駆ける動物
その頂点にいると誤解をしているひと
これらは当たり前であって実はそうではありません。

水の中にいる鳥
空を飛ぶ魚
地を駆ける自然
一番下等であるひと

これも当たり前と理解をすることです。難しくはありません。それを想像すればよいのです。受け入れればよいのです。受け入れるとは無意識の中にその理解を、その想像を取り込めばよいのです。それが当たり前のこととして。それが出発点です。

この世が仮想現実だと意識をしているひとがこの世界に少なからずいます。ひとそれぞれが仮想現実を創りだしその中に存在をしているという現実です。このような解釈は近年の映画の中でも観られる光景です。

この仮想現実は主人公である自身が命を絶つとリセットされてまた新たな仮想現実を創りだすのです。この仮想現実という言葉も本来は正確ではありませんが理解してもらうためにこの現実を仮想現実と表現をしているだけです。仮想現実が現実であるということなのです。

そしてあの世とされる空間もまたそれぞれの仮想現実の空間であるのです。そしてそれぞれの仮想現実を「こころ」称しているのです。身体に宿る「こころ」もあの世にある「こころ」も仮想現実であると同時に、これらすべてが現実であるのです。

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