仮想現実の編 (その2)

神さまはいない~仮想現実編

第一章 そこに「ある」こと

以前にも同様のタイトルで記載をしたことがありますがこの「ある」とはひとが想像をしてそれを言葉に発した時点でそこに「ある」ということです。ひとは脳で想像をしたことは必ず現実となります。

ひとはこのようにして物を創りだして文明を発達させてきたのです。ひとがイメージしたことは数年後に実現されています。だからこそ前述のようにひとは想像したことを言葉に発した時点で「ある」という解釈が生まれるのです。

ひとが想像したことを実現できるのは技術の問題だけです。所詮はひとが発想することです。ひとができるのは当たり前です。それができないとする根拠はないでしょう。

そしてひとはなぜ弱いのでしょうか。肉体的・感情的は動物の本能です。ひとが弱いというのは精神的なことを言います。そしてこの精神と呼ばれる感覚はひと以外の動物には持ち合わせていません。

この世は物質的世界であり、あの世は精神的世界です。これまで技術の発達に伴い様々な物が作られてきましたが精神的にひとは常に不安定な状態であるということです。それは感情にこころが揺さぶられているからです。

ひとはひとであるそれ以前にそれまで精神についての経験がないため、真っ直ぐなこころは欲を満たそうとする感情に惑わされていつも不安定な状態であるということです。

このひとだけが持つ精神と呼ばれるものを「こころ」としています。身体があるこの世は物質的世界であり、あの世とされるのが精神世界です。物質世界では物を常に求めることで感情が満たされますが精神であるこころはそうはゆきません。

感情によって欲を満たすのとは違い精神であるこころを満たすとはこの世ではそれをどうしたらよいのかがわからないのです。だからひとはあれこれを考えてはこの現実で仮定を試みるのです。こころ(精神)を成長させるために教えを求めようとするのです。

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