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- 神さまはいない~意識の編
第二章 意識の違い
ブログに掲載をしている「己が自身」では神さまという言葉を使っていません。神さまはいないものとしてこころの成長のためにどうあるべきかを綴っています。ひとは弱いものでなにかと困ったら神さまを頼りにします。それでは何もこころは成長しませんし、そもそも神さまへは感謝の気持ちを伝えるものであって個人的な頼み事や願いごとなどにチカラを貸してはくれません。
ここに記載をしていることはまずは己が自身で行動をしてくださいとしたものです。それはわたしもまた自戒の気持ちを込めて綴っています。言葉で記すほど簡単ではないことも承知しています。ただ本来はあなたの問題を誰かに解決をしてもらうのではなく、自身で問題を解決して道を切り開いてゆかなければならないのです。
できないことの言い訳を他人に話すことはただ同情をしてほしいがための行動です。それを自らに対して言い訳をするなどは聞いたことがありません。さらには自分で何もせず、何もしない自分に都合よく言い訳をしてその場を回避するなど甘えた感情まき散らしているのです。すべてはこころのあり様なのです。
地面にある幅30センチの白線の上を歩くことはたやすいことですが標高2000mにある幅30センチの稜線を歩くことは並大抵ではできません。最初は四つん這いになって渡るのが精一杯でしたが最近はやっと立って歩けるようになりました。
それでも一歩先の目の前に集中をして「大丈夫、問題ない」として自分に言い聞かせて渡ることしかできません。本当は10m先を見て渡りたいのですがゴツゴツとした岩の稜線で歩きづらいためまだまだその程度なのです。たかが真っ直ぐに歩けばよいことなのに恐怖がそうはさせてくれません。
でも地面の上では安心をして歩けます。安心とは無意識の状態のことです。それを標高2000mではとても無意識でいられません。そうではなく地面で白線を歩く時も常に無意識ではなく意識をして歩くことです。それができるならば両サイドが谷底の稜線でも恐怖を抑え込むほどの強い意識を保つことができるはずです。それは経験によって成せるのです。
信念・「志」とはひとを助ける言葉であって、プライドとは自身の我の強さを表した言葉です。後者には何の価値もなく役に立ちませんが、前者にある「志」の言葉を強く意識をして行動すれば必ず良い結果が生まれます。
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