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- この世界こそが
地獄です
現実に起きていること
それが事実です
憎しみは至る所にあり
ひとの感情と同化して
隙あらばこころが
取り込まれてしましまいます
一通りの人生を生きてきた
ひとならばすでにおわかりでしょう
たとえそれがわからなくとも
なんとなくでも
わかっているはずです
そのことに
意識をする
きっかけがないだけです
- ひとは
みなが平等です
ただ
それと同時に
不平等も
平等に
あるのです
- 自然の息吹に
気づいていながら
敢えて踏みにじるひともいます
わかっていながら
踏みつけるのです
このようにして
ひとの意識とはさまざまにあります
踏みつけることで
生に対して憎しみを放つものたちです
それは日常に起きる
事件・事故が
それを物語っているのです
- 小さな芽の息吹は
ひとにさまざまなことを
教えてくれています
踏みつけてはいけないと
言う事ではなく
この小さな息吹の想いに
気付いてほしいと
教えてくれているだけです
これはひとだけにしか
わからないことであり
ひとは感情があるから
気づくことができるのです
- 自然の教えとは
ひとに気づきを
与えてくれるものです
それはとてもわかりやすく
順序立てた流れであり
それはいわゆる
原因と結果です
- その小さな芽は
われわれに
教えてくれているのです
この場合の
気づくとは「助ける」
ということです
この小さな芽が
気づかせてくれた
「助ける」ということは
われわれにとって
とても大切なことなのです
- 登拝をしていると
小さな芽が
必死に生きようとしている姿を
目にします
ただその小さな芽は
そこを歩くひとによって
踏みつぶされても何も言えません
その小さな息吹は
なにも感じないでしょうが
ひとにはその感覚が理解できます
ただわれわれは気づかない
気づこうとしないだけです
それはそんな雑草を
意識したところで
価値に値しないという
想いがあるからです
残念ですよね
- 過去の歴史は
同じ事の
繰り返しです
あなたがいま、
「志」を掲げて
意識をした考えや
行動をするのならば
たとえいまが
どんな世界であろうとも
それを踏み台に
すればよいだけの話です
- この世界が
たとえどんな世界になろうとも
「こころ」は
自立しない限り
ひとの社会に飲み込まれ
流された状態のままで
あるのかまたは
「志」の意識を保ち続ける
ことができるのか
転生を繰り返すごとに
あなたが生きる世界も
変わっていることでしょう
- 自然と共有できずに
このまま100年先を
迎えるのであれば
その時にはひとさえも
必要としなくなっている
世界であるのか
または
文明が一度リセットされた世界に
なっていることでしょう
これも必然です
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