己が自身 (その229)

やさしい雰囲気をまとうお姿
この世界こそが

地獄です

現実に起きていること

それが事実です

憎しみは至る所にあり

ひとの感情と同化して

隙あらばこころが

取り込まれてしましまいます

一通りの人生を生きてきた

ひとならばすでにおわかりでしょう

たとえそれがわからなくとも

なんとなくでも

わかっているはずです

そのことに

意識をする

きっかけがないだけです


己が自身 (その227)

やさしい雰囲気をまとうお姿
自然の息吹に

気づいていながら

敢えて踏みにじるひともいます

わかっていながら

踏みつけるのです

このようにして

ひとの意識とはさまざまにあります

踏みつけることで

生に対して憎しみを放つものたちです

それは日常に起きる

事件・事故が

それを物語っているのです

己が自身 (その226)

やさしい雰囲気をまとうお姿
小さな芽の息吹は

ひとにさまざまなことを

教えてくれています

踏みつけてはいけないと

言う事ではなく

この小さな息吹の想いに

気付いてほしいと

教えてくれているだけです

これはひとだけにしか

わからないことであり

ひとは感情があるから

気づくことができるのです

己が自身 (その223)

やさしい雰囲気をまとうお姿
登拝をしていると

小さな芽が

必死に生きようとしている姿を

目にします

ただその小さな芽は

そこを歩くひとによって

踏みつぶされても何も言えません

その小さな息吹は

なにも感じないでしょうが

ひとにはその感覚が理解できます

ただわれわれは気づかない

気づこうとしないだけです

それはそんな雑草を

意識したところで

価値に値しないという

想いがあるからです

残念ですよね

己が自身 (その221)

やさしい雰囲気をまとうお姿
この世界が

たとえどんな世界になろうとも

「こころ」は

自立しない限り

ひとの社会に飲み込まれ

流された状態のままで

あるのかまたは

「志」の意識を保ち続ける

ことができるのか

転生を繰り返すごとに

あなたが生きる世界も

変わっていることでしょう