己が自身 (その223) やさしい雰囲気をまとうお姿 登拝をしていると小さな芽が必死に生きようとしている姿を目にしますただその小さな芽はそこを歩くひとによって踏みつぶされても何も言えませんその小さな息吹はなにも感じないでしょうがひとにはその感覚が理解できますただわれわれは気づかない気づこうとしないだけですそれはそんな雑草を意識したところで価値に値しないという想いがあるからです残念ですよね