己が自身 (その223)

やさしい雰囲気をまとうお姿
登拝をしていると

小さな芽が

必死に生きようとしている姿を

目にします

ただその小さな芽は

そこを歩くひとによって

踏みつぶされても何も言えません

その小さな息吹は

なにも感じないでしょうが

ひとにはその感覚が理解できます

ただわれわれは気づかない

気づこうとしないだけです

それはそんな雑草を

意識したところで

価値に値しないという

想いがあるからです

残念ですよね

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