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- 因果について~「志」のままに
第七章 信頼
信頼とは・・・ひととひとが信じ合う気持ちのことを信頼とよく言いますが、わたしの場合は飼っているねことの信頼関係もあります。信頼とはひとだけでなく、他の生命との信頼でもあるのです。そして信頼の意味とは相手の生命の尊さを敬うことです。
それはねこからも、昆虫からも、植物からも、雨や山など自然からも多くのことを教わってきています。そして本来は相手を信頼すれば必ずお返しをしてくれるということです。そのお返しとは摂理に対する気づきを与えてくれることです。
いにしえのひとたちによる自然崇拝とはそうゆうことから始まっているのです。ただしはじめは自然と互いに尊重し合う信頼であったものがやがては欲望における願い事へと変わってしまったのです。ひいては生贄などとした行為をしてまでも自然に願い事をして我を通そうとしてきたのです。
わたしがよく言う「こころの闇に手を貸すもの」とはこころのあり様のことを言っているのです。そのこころのあり様が未熟であればあるほどにこころを宿す身体を強欲な意識の存在としてあなたが勝手に想像をする悪魔や鬼として具現化させて利用しているだけのことです。わたしはこの類についてはあまり語ることはしませんが知るべきことはとても大切なことです。
信頼とは互いを尊重する気持ちのつながりのことです。信じ合うことではなく「志」を認め合うことでもあります。
以前にもお話をした通りに信頼とは本来必要としない言葉なのにひとが都合よく比較対象の意味した言葉として利用しているのです。例えばですがこの現世を強欲にまみれた地獄と例えるから天国という言葉を必要とするのです。それと同じようにもともとは信じるという言葉は当たり前であったのにひとを欺き平気でうそをつくようになったがために「信じる」「信頼」という言葉が生まれたということです。
良い因果の輪廻においてはこのような比較対象を意味した言葉は存在しませんでした。ただ強欲が生まれたのと同時にひとはこころのあり様で裏切られる(うそをつかれる)という疑念が生まれ自らもまた都合よく嘘を積み重ねては摂理である良い因果とかけ離れてきたのです。
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