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- 因果について~「志」のままに
第六章 尽くすこと
ひとはこころが想像した時点でその想像をした未来がそこにあります。そして「志」に気づいた時点でその成し得た状態の未来のこころがいまそこにあるのです。
ひとが一生かけて「志」に尽くすことの最初の一歩はいつからでも遅くはありません。たとえあなたの寿命が明日であっても気づいた時点であなたの一生が救われます。救われるとはそれまでの人生の中でこころ溢れるほどの一番幸せに満ちた状態であることを言うのです。それは成し得た状態の未来がこころにはすでにあるということです。
この想像をするということは時間を超越した感覚であり、空間を超えた意識はいわゆる並列した別の次元に行ったり来たりすることのイメージです。以前にも記載をしましたがひとが想像をすることは必ず成し得ることができるのです。
これまでもそこに「ある」としたこころのあり様について「その先の扉 第七章」でも説明をしていますが、それは想像をした時点ですでに成し得た状態にこころは「ある」ということを説いているのです。
「志」が見つからないものはそれが無理だと思い込んでいるだけです。だから想像をすることができず「志」が見つからないのです。
「志」とは無理やりなことではありません。「自然のまま」にこころの底から湧きあがってくるものです。だからこそあきらめることなく続けることができるのです。こころのままに突き動かされるのです。
「志」に尽くすこと、それは雑念もなく無意識(潜在意識に触れている状態)のうちに成せる状態のことを言うのです。
この世界の過去を知ることができるものは未来を理解することができ、さらに「志」掲げるものは未来を想像することができるのです。
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