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第八章 自然とひとの世
自然は地球の環境にあわせて生態系の秩序、いわゆる適者生存を養ってきました。その食物連鎖において生き物は数と質のバランスで調整しているのが自然にあるこころです。
ただ自然界の食物連鎖とひとが考える生命の尊さは違うものです。ひとが故意に動物を殺めることの生命の大切さとは自然界の秩序ではなくひとが生み出した都合のよい倫理観の話です。
ひとの傲慢さとは「あの動物は可愛いから大切」、「あの動物は食するために必要だから殺生する」などはひとの勝手な都合なのです。いつからひとが中心となってしまったのでしょうか。すべてはそのような社会の仕組みを創ったひとの傲慢さががいけないのです。
すべての生命は自然界の秩序を本能で感じているからこそ食物連鎖があるのです。食物連鎖とはそれぞれの生命がそれぞれの役割をもって秩序を保ってきているのです。
「その先の扉 第五章」ではひとが最低限の生き物を殺めることの共存共栄についてはお伝えをしてきた通りですが、それはひとが自然界の一部であることの道理です。
そして生命の考え方についても左でも右でもなく真ん中での考え方で立ち居振る舞いをして、未来のひとたちにその想いをつなげることが大切であるとしています。
太古の時代より自然は何も変わらないのにひとだけが変わってしまったのです。ひとの世ではその質の秩序が乱れ強欲によって争いを繰り返してきた時代からやがて「志」によって争いをなくす世を目指そうとしたのがおよそ2000年前ころとなります。例えば争いにおいてひとを殺めることがあっても相手の「志」を継ぐものとしてその責任を負うものでした。
生き物の命を大切にするということは、ひとの役割を問題とした話です。ひとは自然界の一部であり自然を背にした考えかたに戻ることを目的とした「志」は、あくまでもひとの「質」を高めるためとして、その「役割」に気づく話のことなのです。
自然界において未来に起きる出来事の原因はいまわれわれの行動によるものです。だからこそいまわれわれは高い「志」を掲げて未来のひとたちのために役割をまっとうしなければならないのです。
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