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第七章 こころのあり様とは
神さまを例えるにあたり荒魂という荒々しいこころのあり様と和魂という優しいこころのあり様で表現をすることがあります。そしてこのふたつの側面はわれわれにも持ち合わせているものです。そして「志」が高いこころほどこの性質による想いが強く現れます。
ひとは因果を創っては消してゆく。同じことを繰り返すのはただただこころを成長させるためだけに在ります。ひとが輪廻をするのではありません。因果が輪廻をするだけです。ひとは因果の道具にしかすぎないということです。
ひとが中心なのではありません。自然にあるこころが中心なのです。原因があって結果があることは摂理そのものです。良い因果もそうでない因果もまた自然のままにあることなのです。われわれはこの自然のままでひとの役割に尽くしてゆかなければならないのです。
因果を消してゆきその先にあるのが「志」なのです。それは因果をひとつ一つ消してゆくことであなたの「志」が生まれてゆくのです。
前世ですでに因果を乗り越えてこの現世で最初から「志」に気づいて役割を果たそうとするものもいれば、この現世で因果を越えて「志」に気づくものもいるでしょう。
いずれにしても「因果」が「志」のきっかけとなっているのです。この現世での地獄をみて湧きあがる衝動や葛藤はあなたにある良い因果そのものであり、それは「志」の源泉です。
そして「覚悟」とは「志」のことでもありそれを支えているのが「荒魂」であり「和魂」です。自然に宿るこころがもつ「和魂」と「荒魂」はひとが根本的に崇める対象となっています。荒魂が良い因果なのかそうでないのかはまさにあなたのこころのあり様しだいなのです。
以前にもお伝えしている通りあなたの正しさは他人にとって必ずしも正しいことではありません。それでも個々に「志」ある役割を果たさなければならないのです。できるだけ多くのひとが「志」に気づいて役割を果たすのです。それがわれわれにできることです。その先にある自然のままにとした役割はわれわれの役割ではなく自然にあるこころの役割です。
「こころの成長」とはゆるぎない覚悟をもって「志」を掲げることです。
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