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第四章 良い「因果」
法で治める世界よりも遥か以前では「自然のままに」とした秩序のもとで世界が保たれてきました。その秩序とは「良い因果」のことであり「良い因果」とはひとの助け合いであったあり、ありがとうと言い合える感謝の気持ちによる互いの行動であったりと、それは慈愛に満ちた世界でした。そしてこの「良い因果」とは摂理そのものでもあるのです。ちなみに摂理とは自然の法則のことを言います。
ただその摂理である「良い因果」はやがてひとの欲に押しのけられて、強欲による「悪い因果」と入れ替わり純粋な「こころ」とたもとを分かつようになってしまったのです。
初めは良い「因果」と「こころ」はひとつであったのですが強欲な「因果」が生まれたのと同時に摂理から離れて「こころ」とは別もののようになってしまったのです。
もともとはひとつであったがゆえに「こころの成長」とはこの「悪い因果」を無くすことが大切であり、それは同時に良い因果を取り戻すことでもあるのです。そのために信念・「志」が必要となるのです。
「すべてはこころの成長のために出来事(事象)はある」ことは自然の役割です。こころはその成長度合いに応じて平時でも戦時でもさまざまな「~らしさ」で成長して、お互いの信念・志が交錯する中でこころを成長させてゆくのです。
たとえば争いごとにおいて互いに志を掲げ戦いますが敗者は相手の信念の礎になるものと覚悟をして散りゆき、勝者はその意志を背負ってさらにその志を貫いてゆくのです。このようにしてはじめは「志」同志の争いであったのに次第に強欲の争いごとへと変わってしまったのです。
いまでは平和の世も戦乱の世もこころのあり様次第が違うだけで欲に溺れその結果で起きる事象に変りありません。前述にもありますが太古の時代にあった互いに助け合い、互いに感謝をした行動をするなど穢れのない「良い因果」は全くなくなってしまったのです。
自然の一部である「よい因果」とは「志」のことです。いまわれわれはそのこころを取り戻そうとしているのです。
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