その先の扉 (その1)

水面に映るご神木のあり様

まえがき

「その先の扉」とはこころの成長における過程の一端をお伝えするものです。最近ブログで「己が自身」というテーマでカテゴリーに「神さまはいない」とした解釈でのこころのあり様、つまり神さまという言葉使わずに神さまを信じない方にも対象とした言葉を書き綴っています。神さまを信じる、信じないなどその考え方も千差万別であり自由意志です。

わたしの書き物はひとの精神的な成長、いわゆる「こころの成長」を促しているものです。そこに「神さま」という言葉を使っていますがわたしが伝える神さまとは荒唐無稽の存在ではなく先人(祖人)たちのことを示しているものです。

そしてこの身体は先人たちからのつながりのある器として「こころ」を宿しているのです。「こころ」とはその成長度合い(こころのあり様)によってさまざまにその意識が存在しています。

この身体になぜ感謝をしなければならないのか、それは先人たちからつながる想いが情報として遺伝子に蓄積されていることや、脳には潜在意識として記憶がされているなどそれだけに尊い身体であるということなのです。

そしてわれわれが神さまとしている先人たちは何度も転生を繰り返してはこころを成長させているので、そのこころのあり様は限りなく「無」に近いものです。もちろん先人たちのこころのあり様もさまざまにあり、先人たちもまた信念・志の役割に尽くしてこころを成長させているのです。

転生をするときにそれまでの記憶はすべて「無」となりますが、その「無」となった記憶はこころの潜在意識にもあるものです。顕在意識は脳が判断をしていますが、こころにある潜在意識ではあなた自身が転生前の先人であった時の記憶が残されているのです。いわゆるあなたの前世についてのことなどです。そして「因果」もまたこころを成長させるために引き継がれているので、その「因果」を知ればおのずと過去の自身にも触れることができます。

少し整理しましょう。脳にある潜在意識とは過去からつながる身体がそれぞれに行動をしてきた記憶です。その時、そのときの身体にはさまざまこころが宿っておりましたがいまのあなたのこころとは関係ありません。またこころにある潜在意識とはあなた(こころ)が過去に転生をして身体に宿っていた時のこころのあり様の記憶のことです。

古代のひとが行っていた祭祀については現存する発掘された遺跡の年代を調べてみればBC3000年~BC2000年頃の縄文時代からがはじまりであるとわかりそこには遺跡も残されています。一説にはBC5000年頃とも言われていますが、その頃からすでに故人を敬うという行為が祭祀として行われてきているのです。

われわれはどうしても名が残る先人たちに気が惹かれてしまいますが、名がわからずとも高い志を掲げ役割としての行動をされてきた方はたくさんいます。その先人たちすべての方に対しても感謝の気持ちを伝えなければなりません。

この「その先の扉」とはその先人たちの想いの一部をみなさまにお伝えができればと思いで書き綴りました。

どうぞご覧ください。


その先の扉~目次

まえがき
目次
第一章 つながりとは
第二章 未来のために
第三章 行動すること
第四章 生きる理由
第五章 それぞれの考え
第六章 それぞれの想い
第七章 その先の扉
第八章 自然のままに
あとがき

己が自身 (その95)

やさしい雰囲気をまとうお姿

努力や苦労という

言葉は本人が

自分に対して

使ったり

思うことでは

ありません

ひとが勝手に

思うだけの

都合のよい言葉です

ただの甘えた言葉です

もしひとに

それは何故と

聞かれたら

その基準を

聞いてみてください

その程度です

当たり前の

ことなのです



























己が自身 (その93)

やさしい雰囲気をまとうお姿

いまブログに掲載をしている「己が自身」では神さまという言葉を使っていません。神さまはいないものとしてこころの成長のためにどうあるべきかを綴っています。ひとは弱いものです。なにかと困ったら神さまを頼りにします。神さまは頼み事や願いごとなどにチカラを貸してはくれません。ここに記載をしていることはまずは己が自身で行動をしてくださいとしたものです。それはわたしも自戒の気持ちを込めて綴っています。言葉で綴るほど簡単ではないことも承知しています。ただ先に進みましょう。