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水面に映るご神木のあり様
- 第八章 自然のままに
こころは過去もいまも未来へもとつながっています。この「時間と空間」は「線と点」のようなものです。
過去を知るとは「因果」に気づくことです。その「因果」とは原因と結果のことでもあり、因果の原因となるひとの「感情」は、その時のこころのあり様を計り知ることができるのです。このことを理解すると時代とはただの線であってその長さとは因果を点で繰り返す回数が線として現れているだけなのです。
こうして過去の時間とその時の点である因果の空間、いわゆるその時に起きた出来事はさして必要ではなく言い換えればただあるのは「因果」による「原因と結果」でしかなく、いわゆる時間は必要としなくなるのです。時間を必要としない概念は常世のことでありそれは「こころ」のことです。
すべての過去に起きた事象やこれからの起きる事象のすべては因果による原因と結果です。そしてその因果の原因となる相手に対する強欲の感情はこころを成長させることで少しずつ無くなってゆきます。このようにしてゆけば、自然と因果も無くなってゆき因果によるその結果である争いや事件・事故が無くなってゆくのです。すべてはつながっているのです。
そしてこのことを繰り返してゆけば未来がどうなるのかは自然とわかるようになるのです。
このようにして因果や原因と結果、理由があっての必然、自然という言葉の使い方、自然に宿る神さまとは限りなく「無」に近い、とする意味などこれまでの「理の書」からのつながりもまた線であるのです。
すべては「こころを成長させる」ということが頂点にあり、過去にあった出来事や、いまそこにある出来事は「こころを成長させる」、そのために派生する事象にしか過ぎないということであり個々の「正しい」、「間違い」などの感情は必要としないのです。
それが「自然のままに」ということです。
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