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第七章 その先の扉
ひとは言葉なくして行動はできません。言葉があるからこそ行動ができるのです。だからこそ「信念」・「志」が必要なのです。そしてその「信念」・「志」があなたの「役割」でありその役割に尽くすことが生きる理由です。
われわれは先人たちからの想いを未来のひとたちにつなげてゆかなければなりません。その理由は未来のひとたちにそれぞれ自らの「信念」・「志」に気づいてもらうためです。それはわれわれも同じであり、先人たちの想いがいま自らの「信念」・「志」に気づくきっかけを伝えてくれているのです。このようにして先人たちの色あせない時代の想いをつないでゆかなければならないのです。
余談ですがわたしはねこを飼っているのですが最近そのねこから学ぶことがいくつかありました。そのひとつに、われわれひとの都合をねこに伝えても言うことは聞いてくれませんがねこの都合で伝えればその気持ちに応えてくれます。ねこは何度も同じことを繰り返します。それはまるでひとの子どもと同じです。もう一回、もう一回と同じことを繰り返すのと一緒です。その想いでねこに接してみてください。
話を戻します。最近ふっと思ったのですが、こころが転生をするのはひとの身体だけでもないのかということです。
そして転生する時代もこの現世だけではなく隣にある別の現世で、しかも時代はAD1400年くらい(こころのあり様次第です)に転生をすることもあるのではないかということです。こころを成長させるためにもっとも最適な環境とは何もひとの身体だけではなく動物や植物に宿ることも必要なのでしょう。またはわれわれがイメージをしている地獄(想像)の世界なのかもしれません。更には「宇宙」という世界にまで視野を広げれば限りない転生先の想像をすることが可能となります。
何度も伝えるようにわたしの書はひとりが100人を助けるのではなく、100人が100人を助けることを第一に考えているのでわたしの伝えることはそのためのきっかけにしか過ぎません。一滴の雫が水面に落ちて波紋となればそれでよいのです。これも自然が教えてくれていることで、それがわたしの役割です。
なにが事実なのか、なにが正しいのか、どうして不条理であるのかということではなく「こころが成長する」ためにわれわれが想像することはすべて「ある」ということなのです。われわれは想像をすることでそれらをさまざまな言葉によって言い現わしますがその言葉とは無限に広がる新たな可能性でもあるのです。想像を言葉に現した時点でそれが「ある」のです。できる、できないではなく言葉に発した時点でそこに「ある」のです。
われわれはすべての起きる事象に対して乗り越えてゆかなければなりません。それは耐えるということではなくすべてを受け入れること、そして何より行動をするということです。
身の回りで起こる耐えがたいこと、我慢ができないことはこころが成長するために敢えて試練としてそこに「ある」ということです。だからこそ争いの悲しみや憎しみ、災害の苦しみや嘆きなどは無くならず、逆に必要とされるのです。そしてその当事者となる、ならないはこころのあり様次第です。その中でひとは何ができるのかを試されているのです。こころが成長するようにと・・・
そこにある出来事のすべては「こころを成長させる」ということが頂点にありそのために派生する事象があるというだけです。だからこそ「事実なのか」「正しいのか」「不条理である」などはあくまでも己が自身だけの小さな問題でしかありません。すべては「こころを成長させる」ための事象があるだけです。
そして自らに問いかけるのです。「こころ」という「意識」はなにか、そのはじまりはいつなのかと。そう考えたときの答えである「こころ」とは・・・
遥か太古の時代で自然のままに生きていたひとは「強欲」という「因果」が生まれた、その瞬間に「こころ」という意識に目覚めたのです。
この意味についてはま次の書でお伝えをしてゆきます。
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