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第五章 それぞれの考え
われわれが生きる「生命」とはひとだけでなく動物や植物にまで及びます。そしてわれわれもまた自然の一部であり自然に生かされているのです。
生命の倫理については環境破壊などいくつもありますが良く例えられるのが食における生き物を殺めることの問題があります。それは生業としている者たちが主な対象ですが、生業には食の安定供給という理由があってのことでしょう。そして倫理の観点として一般消費者にもその影響が及んでいるのも事実です。一般的な意見としてあるのが動物はダメでお魚はどうなるのか、植物にも命があるというなら、野菜なども食してはいけないのか、果実もダメか、それではわれわれは一体何を食べて生活すればよいのかと言ったような右寄りの議論となることは容易に察します。
極端に左か右に振り切った意見の方がわかりやすいからそのような考えを引用します。この課題に対してみなさまはどのように考えるでしょうか。植物の生命についてはどのように捉えるかなど様々に課題があるでしょう。わたしなりにその想いのひとつとして、ただ単に遥か先人たちの自然のままの生活を想像すればわかることと考えます。それは生きるための必要最低限を食してくださいとしているだけです。これも「自在の書」で伝えましたがその考えかたは左や右ではなく真ん中で良いのです。
たとえば上記のように食における日本の文化をあえて伝えるならば日本人は古来よりご飯を食べる時「いただきます」、食べ終えたら「ごちそうさま」と言いますが、これは生命ある動物、植物に対して感謝の気持ちを伝えているものです。そして必要最低限のものを食せばそれでよいのです。これも先人たちの想いです。
この感謝の気持ちもまた過去からのひとたちによる動物や植物などの生き物に対する感謝の気持ちの想いであり、そしてこの先も動物や植物に対して共存をしていくことを伝えているものです。このようにして先人たちもまた自然の法則(摂理)をわれわれにその想いとともに伝えてくれているのです。誰に教えを乞うものではなく風習として語り継がれてわれわれに伝えてくれているのです。
ひとが強欲のために過剰に生き物を殺めることには因果が生まれます。ただひとが生きるための必要最低限に動物を殺めることに因果は生じません。そこには自然との共存共栄があり適者生存があるからです。決して弱肉強食ではないことを理解してください。
ここでは食を例えにした問題を提起していますが過剰な食材の廃棄など原材料につながる生き物の価値観や生命の倫理などに対する感謝の気持ちがいま失われているのは事実です。もちろん少数ではありますがそのことを声に出して多くひとに訴えているかたたちもいます。でも生業としている生産者との考えは左と右の意見に相分かれてしまうことでしょう。それはコインの表と裏です。互いの考えは真逆のため相容れることはありません。
このように真逆の対立する考えについて真ん中の答えを求めることが必要なのですが、その答えを導くためには点で考えるのではなく線で考えなければなりません。
点で考えてしまうとどうしてもその場での解決をもくろみ、その結果感情に身を委ねてしまいます。そうではなくものごとは線で捉えて広く、深くに考えるのです。例えば点で考えると「いまをどうしよう」と考えてしまいますが線で考えると「未来をどうしよう」となるのです。そのための行動をすればよいのです。「未来をどうしよう」と考えれば必然的に対象者はいまの真逆の考えである相手ではなくなり新たに未来を創る子どもたちへの教えに変わるのです。
同じ行動でも「未来をどうしよう」と考えれば必然的に次世代への子どもたちへの教えをすることが大切であると気付くものです。
あなたが正しいと思う考えを真逆の考えをする相手に伝えるのは何の問題もありません。それは信念ある行動であり大切なことです。ただそこに答えを見出すことは困難であり、逆に何故こんなにも想いを伝えているのにわかってくれないのだろうと嘆きの感情が残ってしまいます。
他を否定するのは構いませんがそれを感情に表せばあなたの傲慢でしかありません。点で捉えた個々の考えで判断した行動の果てはあなたも相手もそれが原因であり結果となって現れるだけなのです。それはあなたが納得する、しないではなく相手が理解する、でもありません。それは原因があっての結果であり、理由があっての必然でしかありません。そしてそれを受け入れなければ憎しみとなってまた新たな因果が生まれてしまうのです。
植物の花はただきれいに咲かせるために一生懸命なのです。それが役割なのです。だからこそ花を見たひとはそれをきれいだと感じて花はみなに好かれるのです。もちろんきれいに咲くこと以外にも昆虫に蜜を与えてはその代わりに身体に花粉を付け運ばせて次の花たちへと生命をつなげているのです。しっかりと未来のために意志をつないでいるのです。このような摂理(自然の法則)の中でわれわれは生きていることを理解しなければならないのです。
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