はじまりの書 (その12)

やや左向きで中心より少し上にある両眼でこちらを見据えているお姿にお気づきください
第十一章 常世とはこころ

現世でわれわれがはじめに学ばなければならないことは因果です。ただそれをいきなり自然に答えを求めてもわかりません。それでも学ぶことは多くあります。自然にも先人たちと同様に感謝の気持ちを伝えることだけです。その答えは自然にすべてありますが、それは自分で見つけなければなりません。

この時代に至って自然はひとの強欲に侵食されてきています。それでも先人たちにはこの身体のつながりに感謝をして、自然を敬い活かして頂いていることに感謝をしなければなりません。

過去の歴史は先人たちよりの教えとして学んでください。大切なのはそれを踏まえた上であなたのこころにある役割に気がつくことです。

自然の万物に宿る神さまは「無」に近づくことでその役割を全うします。そしてわれわれのこころに常に問い続けながらこころの成長をさせているのです。

こころのあり様とはこころの成長度合いのことです。その成長度合いとは因果をもって図り知ることができます。そのためにも因果を理解しなければならないのです。現世からみた常世とは実体(身体)のない意識だけの世界です。

われわれの身体にこころが宿るように、神さま(こころ)は自然のあらゆるものである万物にも宿っています。ゆえに「常世」とは現世の中にありこころとは常世でもあるのです。

常世での「無」に限りなく近い神さま(こころ)は現世の自然の中にいるのです。そして自然の役割自体が神さまのことを指しているのです。常世という言葉を使い、勝手に分け隔ててをしようとするからよくないのかもしれません。そう思い込んでいるだけなのかもしれません。でもそうではなくわれわれは知らなければならないのです。常世とは「こころ」のことでもあるのです。

前述の通りに常世とはこころ自体を指します。現世と常世を分けてはいけません。現世の中に常世があるのです。同時に常世の中に現世があるのです。すなわち常世がこころでもあるです。それはこころのあり様自体が常世という世界をそれぞれに創り出しているのです。そしてそれぞれの常世の世界でこころを成長させてゆくのです。

大切なことは常世の世界にこころが在るのではなくこころ自体が常世でありみなさまを守る神さまとして在るのです。そして「こころ」それぞれが常世の世界を創り出しているということです。

こうしてわれわれみなひとりひとりが神さまであることに気づきこころを成長させてゆくことがわたしの志である「すべての生きとし生けるものが幸せに満ち溢れた世界になること」につながるものと信じているのです。

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