はじまりの書 (その11)

やや左向きで中心より少し上にある両眼でこちらを見据えているお姿にお気づきください
第十章 神さまを越えて

われわれが神さまを学ぶのは神社に残されている史書や公的な歴史書からのものがほとんどであり、その祀られてる神さまとは先人たちのことを指しています。われわれが神社ですべきことは、ただただ感謝の気持ちを伝えることです。

そしてこころを成長させることで、感謝の気持ちを伝えるとは先人たちとのこの身体のつながりに対する感謝の気持ちであることに気づきます。

更にはその先にあるひとの役割(=チカラ)を越えたものを求めるようになります。それが自然崇拝です。太古より自然と共存をしてきたわれわれは常に自然に答えを求め見出してきました。そして遥か以前より自然物や自然現象を神格化して祭祀により崇めてきたのです。

自然や万物に宿る神さまは限りなく「無」に近いもので、なによりも因果のないこころです。これはこころが成長する先に必ず辿り着く場所です。因果を理解し得たものが人智を越えたチカラを求め辿り着く場所が自然なのです。

われわれを守る神さまに気づき、その先には自然や万物に宿る神さまがいることに気づきます。ひとの強欲が蔓延るほどにいつのまにかわれわれは自然や万物に宿る神さまに気が付かなくなってしまっているのです。

ただわれわれがそう思い込んでいるだけで自然や万物に宿る神さまはいつもそばにいて気づいてほしと望んでいるのです。そして一緒に役割を尽くしてゆこうとわれわれに期待をしているのです。

自然や万物に宿る神さまはわれわれ個々を守る神さまとは役割が違うだけでその意志は同じでいつもそばにいます。こんなにもそばにいるのにわれわれが気づかないだけなのです。自然に宿る神さまにも常に守られているのです。

そして自然や万物にも宿る神さまを意識することから、意識できるようになることが大切です。この違いは「意識する」とは自然や万物に宿る神さまを信じることであり、「意識できる」とは自然に宿る神さまを感じることです。

感じることができるようになるために、まずはわれわれを守る神さまのサインに気づかなければなりません。あなたを守る神さまはこころが成長するようにいつも努力をしてくれています。

そして常にメッセージを送り続けています。そのサインに気づき、あなたを助けてくれていることへの感謝の気持ちを込めて恩返しをするのです。そのやり取りを続けることで身近にいることを感じることができるようになるのです。そして同じようにして自然や万物に宿る神さまをも感じることができるようになるのです。

われわれは因果に気づき更なるこころの成長へと望むべく因果に囚われない自然のチカラ(役割)を求め崇めるのです。できる限りにこころを成長させて「無」に近いものを求めるようになるのです。

自然のチカラを扱うことが目的ではありません。自然に宿る神さま、万物に宿る神さまを知ることが大切なのです。そうすることでまた新たな自らの答え(志や役割)が見つかるようになるのです。常にわれわれを守り一歩先を歩く神さまとの追いかけっこです。決して追い抜くことはできませんがそれがこころの成長なのです。

常世での究極は「無」です。この「無」に至るべく追求をすることがこころの成長なのです。「無」になってくださいではありません。ただ「無」に近づいてくださいとしているだけです。常世での役割のひとつである感情を消すこととは「無」に近づいてくださいと言うことなのです。

この「無」を知ることは自然や万物に宿る神さまを知ることなのです。自然に宿る神さまはその因果もなく「無」に限りなく近い神さまたち(意志)です。ただただ役割を全うするための神さまたちなのです。

先人たちを神さまと崇めるのはひとを助けるための尊い志を持っているこころのことですが、それでも武力、財力、知力、技術力など因果の強いチカラでひとを導いてきています。ただ因果の歴史を更に越えるためにはひとり一人のこころが成長をすることで自らが神さまであることに気づかなければならないということです。

これまで神さまという言葉を使ってきていますがそれは「意志」であり「行動」のことを指しています。そしてその教えについては自らが学び、気が付かなければなりません。それがこころを成長させることなのです。

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