「自在の書」(その33)

中央に右手に錫杖を持ち念ずる修験者、その奥に口と目を見開く不動明王様、修験者の頭上に龍神さま
あとがき

ひとは悩みが尽きません。これはひとの欲が尽きないのと同じです。そして何で悩んでいるのかさえわからないひともいます。このようなかたに悩みの云々を説いたところで結局は、それがわからないから悩んでいるという答えしか返ってこないでしょう。

これは悩んでいるというよりも自分の意思が弱いだけです。異質な世界で育った子どもであれば別ですが誰しもこころの奥底にかならず自分の答えは持っているのです。それを承知した上で接してあげるとよいでしょう。悩みに対してひとつひとつを丁寧に解決するのか、根本から変えるのか、まったく別のことに意識を向けさせるのかといろいろとあります。いずれかでもよいので奥底にあるあなたの答えは「正しいですよ」として引っ張り上げてください。

みなさまの考えはいかがでしょうか。それぞれに方法・手段があるものと思います。
悩みもまた因果であり欲であることに気づけばさほど難しくありませんが、ただそんな簡単なものではありません。

そして悩みとはひとと比較をした相手があってのことです。悩みになやんでいるのです。もしかしたらそもそも悩んでいないのかもしれません。脳が悩んでいるふりをしているだけなのかもしれません。それくらいに相手のことを考えたら広く深く尽きないのです。そして相談相手のかたも答えを見失い悩んでゆくのです・・・

「こころを惑わすのは他人ではなく自らのこころ」です。悩みとは大体「意思」の弱いひとに多いものです。その悩みで自分が傷つきたくない、ただそのことだけです。さらに悩みの本質とは欲が原因なのです。あのひとと比べて、わたしは悪くない、あのひとよりも、もっともっと・・・、その悩みが因果であり強欲であるから悩むのです。すべてはこころのあり様次第です。バランス良い意志を保ってください。何度も伝えますがほどほどの欲であれば生きる活力となるので構いませんが人を傷つけるような強欲がダメなのです。

この書でわたしが伝えたいことは「意志の強さ」です。強欲も意思の強さと同じでは?と思うかたもいるかもしれませんが根本的に「欲」と「志」は違います。ひとによってですが意思の「思」であれば「欲」と同じでしょうが「欲」と「志(こころざし)」はまるで違います。「欲」は己のための感情ですが「志」はひとのための行動です。

わたし自身もただ理解をしている、納得しているだけではだめですよね。こころざしも道半ばです。ただ幸いなことにいまは言葉がたくさん湧き出るようになり、こうして書き綴ることができています。こころの葛藤も年を重ねる度に以前よりも大分少なくなりました。また次に何かをしてゆかなければなりませんがもう少しだけ書き物をさせてください。

この「自在の書」は「はじまりの書」を書いている途中で現世(因果)についてまだまだ伝えたいことがあるとして変更させていただきました。まえがきからのつながりとしてこの「自在の書」について、意志のある行動についてみなさまのお役に立てればとの思いです。ご覧いただきありがとうございます。

2020年7月吉日


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