「自在の書」(その29)

第二章 身体の衰え

~常世への準備~

理(ことわり)の書で「脳とこころ」を取り扱っていますが、身体の思考を司る脳は常にこころと葛藤しています。それはこころを常に成長させようとしているからです。脳は子供から大人へと成長することに合わせて思考が形成されて性格が創られてゆきます。そしてこころもまた環境によって様々なことを経験して学びながら成長をします。以前にこころはひとに宿るとお伝えをしましたが、われわれの身体には寿命があります。

それでは年老いて、もし痴呆や障がい者となり身体が衰えて脳の思考が低下したらその身体に宿るこころはどうなるのでしょうか。

このことについて、こころは成長をしたままの状態を保っているということを知っておいてください。身体が老いて行動が制限されようとも、脳の思考が低下しようとも、身体に宿るこころは俯瞰して冷静にあなたを見据えているのです。

ひとを見た目で判断をしてはいけません。どんなひとにでも必ずこころは身体に宿っています。年老いた状態で病にかかっていても、障がいを患っても、こころは何ら変わりません。逆にいろいろと教えてくれることが多くあります。

もしあなたに関わるかたで介護などの助けが必要であるならば、あなたがどのような対応をするのか神さまが試していることもあるでしょう。例え重度の障がいのある方で会話ができなくとも、その方のこころと会話をするようにしてください。直接に相手のこころとお話をするのです。一方通行とはなりますが相手のこころは必ずあなたの声を聴いています。できるだけ声に発して話してください。

そしてわれわれは身体の寿命によりその役目を終えようとする時にひとが生きる意味を知ることができるのです。脳の思考は衰えてもこころが考えているのです。

もうすぐでわたしは死ぬのだろうか
・・・終わりではなくはじまりです

死んだらどうなるのだろうか
・・・常世があるだけです

何のために生きてきたのだろうか
・・・こころを成長させるためです

ひとのために何か役にたったのだろうか
・・・自らの因果に気づいたでしょうか

こころの依り代として宿るこの身体はそのお役目を終えて寿命が尽きるのです。
そしてまたこころだけの状態に戻り常世に向かう準備をするのです。

こころは身体の寿命が近くなると身体から離れてこころのあり様の姿を見ることができます。でも話をすることはできないのです。言葉とはひとの身体を使ってしか発することができないからです。身体から離れたらそれもできなくなります。だからほかのこころの姿を見ても無言だから怖く感じるのかもしれませんね。

こころには年齢の認識はありませんが身体には寿命があります。こうしてこの現世はこころが成長するための試練の場であり常世が中心の世界であることを知るのです。

「この身体はこころを成長させるための器です」
「この身体はこころとつながるための依り代です」

すべてはこころを成長させることが目的であり、それは常世でも同じです。
この身体を大切にしてください。この身体はこれまでのつながりがあり、いまを生きながらえています。つないでくれたご先祖さまに感謝をしてください。

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